2019
06.19

梅雨の晴れ間、自転車で家相をみて回りましたです。

この家は…。いや、大きく北東が張り出しているというより、二階のドアは、どーいう役目を持っているのでありましょーか。

寝ぼけてドアを開けたら足を踏み外しそーではありませんか。改築の途中で資金が尽きたのであろーか…などと、ちと不安になったのでございました。

ありゃありゃ、典型的な道に挟まれた三角形型のお家であります。
玄関を作ることで、三角形の角を免れておりますが、感心はできませぬ。
没落しベンツを手放い羽目になるのは、時間の問題かと判断してのでありました。
門がないのも家を為してはおりませんです。
出入りする際に、激しいストレスの連続でありましょー。東西の窓は、朝から眩しくて仕方なく、風通しも問題でございますです。

さて、問題はこの家なのであります。

雨どいに植物がはびこっております。
敢えてそーしたのか、どうかはともあれ、河童ハゲの如き屋根であります。

じつは、この家は、最近、重大な事故で横断歩道を渡っていたお方をひき殺したお方がお住まいになっておられます。

むろん故意の事故ではありませんでしたでしょー。
が、雨どいの水の流れが阻止されると、気も停滞いたします。
一日も早く、この植物を処分し、雨どいの水の流れを正常にしないと、ふたたび災いを犯すことは必定。
門もなく、北東側の欠から陰の気だけが入る可相なのでありました。

開運は、奇門遁甲の方位と、家相しかございません。
逆に言えば、奇門遁甲に逆らった方位を使用し、悪しき家相に棲んでいれば、たとえ幸運の生年月日を有していても、その副作用としての悪さだけが強調される日々が続くのでございます。

モリオカの実家のリノベは、慎重に、しかしダイナミックに実施しなければならぬと、自分に言い聞かせるのでありました。

2019
06.18

牛肉を断って、すこしカンを強めよーと頑張っておりますです。

断易は、直観力などは不要でありまして、出た卦によって判断すればイイのでございます。

もしも、カンが必要であれば、それは出た卦を解読する際なのであります。
先日の断易NEXT科では、「易者は言葉使いにならなければいけない」という意味を挟みつつ講義を進めましたです。

相手の心の扉を開けるには、言葉なのであります。
おセックスによっても、それは可能でありましょーが、占いの範疇から逸れてしまうのでございます。

しかし、男女において、自然に関係を深めていくためのキッカケは、言葉でありますから、占いから離れた時は、その訓練が必要でございます。
そして、どの言葉が一発で仕留められるか、急所となる相手の部分を知るには、カンが必要なのであります。

匂いも軽く見ることは出来ません。
自分に好意を寄せている相手の口臭は甘く、反対に、敵意もしくは反意を抱いている相手の口臭は毒素が混じっております。

牛肉を食ってしまうと、そういうことに鈍感になりますです。

なので、イカのスープにいたしましたです。

四柱推命でみて絶望的、断易でも暗闇の卦が出た時、そんなときは、しかし、もはや言葉は何の意味も持ちません。
言葉は、一条の光が見えている相手にとってのみ有効であることは、経験によって頭に染みておるのであります。

そのような相手には、一条の希望を、こちらで作らねばなりません。
どうするか。

ギャンブルであります。

ロト6を当てさせる。もしくは競馬で儲けさせる。株で勝たせる。

コレでございます。
ギャンブルで勝てれば、運はまだ味方でいたと一条の光を見ることが出来ますです。

その相手のためにも易者はカンを養わねばなりませんです。

牛肉だけでなく、店で食うモノに、何が入っているか分かったものではありません。
放射能の方がよほど安全かもしれませんです。

しばらくは、カンのために自分で料理する日々が続きそうでございます。

2019
06.17

そわそわし始めましたです。

恋人が来るまで、甘いものを楽しんだり、あるいは服を買ったり、インテリアのシャレた椅子を眺めたりするのでありました。

ずいぶん待ち続けたので、恋人のボディも色も内部も、記憶から抜け出てしまっているのであります。画像を眺めるのでありますけれど、
「これだったけかな?」
と自信がもてなくなっているありさま。

「いつもの恋人よりも複雑ですから」
と詳しくレクチャーされている冊子を読むのですが、「ここをタップして…」とか「左にスワイプすると…」と目で追っても理解不能。やはり恋人とは肌で接しないといけませんです。指先の感触でないと記憶に残りません。

いちど試しに接しはいたしましたが、それすらも忘れてしまっておるのであります。

新しい恋人を迎えるのは、とても久しぶりでありまして、
「北国の冬でも健康で大丈夫なら、それでイイ」
シンプルな条件でしたが、しだいに欲望がつのり、「ややや!」と理想の高い恋人となってしまつたのでございます。

若いネエちゃんにはさまれながら、餡蜜を舐めるしやわせで、つかの間、恋人を待つというもどかしさを忘れるのでありました。