2014
05.30

ひっそりと勿忘草が息づいております。

朝に池まで散歩したら一面に咲いておりました。

昨日の北の方位は庚でもましな庚丁でありましたが、庚特有の殺気はやや丸みを帯びているようであります。

なにを思い出せと、勿忘草が揺れているのか、しかし、雨の季節の到来する前の、人生でいえば、20代後半でもあるかのような夢踊る束の間の日々なのでありましょう。

座って思い出せと強要されているようなベンチを横目に通り過ぎるのでございますが、姿なき老人が腰かけているのでございました。

それは10年後の私メの魂魄なのか、別のなにものかの魂なのか。

そういえば昨夜、夜更けに、実家の古い屋敷の私メの部屋の襖の向こうにも似たような霊気を感じたのであります。

襖を開けましたけれど、暗闇が広がっておるばかりでありました。
実家で、私メ一人が、まだ幽霊をみておりませぬ。
家族も親戚も見たと申しております。

おそらく、夕べは、襖の向こうで、誰かがちんまりと坐っていたはずでございます。

想い出して、想い出して、と訴える如く勿忘草は揺れるばかり。

幽霊の見れる方位はあるのか、などと考えつつ小径をそぞろうのでありました。

運命学に幽霊などという記載はございませぬ。

墓場に家を建ててはならぬとは、ありますが、それは死者の霊魂にこぢつけて、地相の悪さを警告しているに過ぎないのであります。

むかしの墓地は深く穴を掘りますから、地盤が弱いのであります。
祟りを持ちださねば、そこに家を建てる人々があらわれるわけでございます。

祟りとか神様というのは、そういうところから誕生した、戒律を守らせるために人間が作り出したマボロシなのでございます。

ちがうー、いるよ、ここに。おもいだしてー。

勿忘草は瞼の奥に、その揺れを移したようでございますです。

 

2014
05.29

久しぶりに、帰りなんいざ、ということでモリオカに戻ったのでありました。

庭は、ごらんの通りの荒れ放題。雑花の住処とかしていたのでした。

しかも気温は30度。
狂気の天候であります。

新幹線で資料を読み続けておりましたから、もはや庭の手入れをする気力もなく、畳にごろりと仰臥いたしました。

静かなのであります。
陽光は縁先の踏み石にはじけ、静寂におおわれておりました。
水が滴れば、その水滴が聞こえるほどであります。
しかし、水さえ流れず、荒れた庭から草の匂いがにじむのでありました。

いつしか勃起しておる自分に気づき、お女性の陰毛の丘を撫でたら、さぞ安らかであろうと妄想に耽るのでございました。

仰臥していると、耳の後ろのくぼみを伝って、汗が首筋に這いおりるのを感じます。

草むらに埋もれる如く、盛りを過ぎた花が崩れかけておりますです。

やがて半眼にしたまつ毛の加減で空の端が五色に染め分かれて見えるのでありました。

郷里の空でございます。

今夜は鴨鍋にしようかと思いましたか、この気温ではどうでしょうか…。

 

 

2014
05.28

本日の吉方位、いかがでしたでしょうか。

行った先で、イヤなことは起きませんでしたでしょうか。
イヤな出来事が起きれば、効果はございますです。

吉方位とは、なぜか邪魔が生じるものであります。凶方位へはスイスイ行けて楽しいのであります。

ところが吉方位は、モノを落したり、ミスをするような出来事が起きますです。「効かないではないか」などと思ったりいたします。

良い方位に行かせない何か阻むものがあるのだと、私メは解釈している次第であります。

私メは実験を兼ねて、本日13時からの地遁を使いました。
映画館に入ったのでしたが、いつもは老人割引で入れたのに、今日に限っては「お誕生日がまだですから」と断られたのであります。

さらに、観客のまばらな席に座ってポップコーンを頬ばっておりましたら、一人の若者が隣の席に座るではありませぬか。
座席予約の際に、チェックできているはずであります。

つい大きな声で、「おいおい、隣かよ」と睨みつけました。
講義をしている間に、声を大きく出す癖が出来たのでありましょう。
「まさかホモではないだろうな!」と。

「ち、違いますよ」
と手を左右に振ったので許してやりました。

が、このような現象は、吉方位の歯車がかみ合ったということなのであります。

で、あくまで実験ですから、私メは奇門遁甲の作法をいささか崩して帰宅いたしたのでございますです。

はい。