2021
11.30

古都から山をいくつか越えたところに足をのばすと、小さな町が車窓に見えては過ぎていくのでございました。
「こんなところに、よう住まはるなぁ」
乗客のだれかのしわぶいた声が耳をかすめました。

私メも、ちょうど似たことを考えていましたので、ちらりと後ろをふりかえりました。
そのとき、大きく揺れて列車が急停止しました。
ガタン。

しばらくして、関西弁のアナウンスがあり、「いま非常停止ボタンが押されました」
列車は、けっこう長い間、のどかな田舎町を見下ろす地点で、昼寝でもしているように動かないのでございました。

もしも、この町に滞在し、お女性とロマンスに堕ちたら大変なことになるだろうなぁ、などとぼんやりと空想に耽ったりするのでございました。
恋の噂は、翌日には町全体にひろがり、そのお女性が奥さんだったりしたら、スーパーに買い物にも行けなくなるだろーと。
「逃げよう、ぼくと」
落ち合って、この列車で都会へと姿をくらましたら…。

と、ふたたびアナウンスがあり、非常ボタンは、トイレの中からだというのでした。
どーやら、乗客がトイレから出られなくなったらしいのであります。

そーいえば…と思い出すと同時に、うしろの誰かが、「あてらのような、かよわい力ではどーにもなりまへんのや」としわぶくのでございます。
そーです。トイレのドアはボタンでの開閉式なのですが、内側のボタンが取っ手に隠れて、容易に見えないのであります。
たしかに力で無理に開けようとしてもうんともすんともしないことは、さきほど私メも焦ったことでございました。
若い運転手助手がいくどかトイレ付近を行き来する気配がありました。

「逃げよう」
しかし、奥さんは、幼い子供に「行かんといて!」と泣きつかれるかもしれません。
実親と同居していれば、「親やろう、親やろう!」と、きっと止められてしまうでありましょう。

列車は20分も停車していたでしょーか。
何事もなく、初冬の町を振り払うよーに動き出したのでございました。

小さな町に暮らすことも苦労が多いだろう、と空想に過ぎない教訓を現実のこととして、妙に納得してしまうのも、旅行の楽しみのひとつといえば一つなのでございます。

2021
11.29

狙いをつけた神社に向かったのでありました。

バカ日本人で新幹線はけっこう混んでおり、古都で下車したサルも多いのであります。
アフリカではあらたな変異株を出たとか。
殺処分が最善処理でございますです。

このよーなささくれた気持ちに安らぎを与えてくれる、この神社はほとんど観光ルートから見捨てられておりまして、しかし、それだけに晩秋の冷えた大気が正確に荒れ果てた庭園に降臨しているのでありました。

「しやわせカード」SP版に仕込む胎蔵仏代わりにするブツを採取し、
「これでよし」
なのであります。

はやばやと目的を果たしましたが、時間を持て余すことはございません。
むかしの知り合いに連絡することもなく、なつかしい古都をブラブラとそぞろ歩くのでありました。
万歩計で2万歩近くなりましたので、

そろそろメシを…
ということで、うどんやへ。

昨年にくらべ、
「……」
許せる範囲で、お味は落ちておりました。

すこし休みまして、
「今夜はおでんにしよー」
ひさしぶりに高瀬川沿いの店に思いをはせましたが、とうじ通っていた頃から、すでに45年の月日が経過しているのでございました。
「オバちゃんも生きてはいまい」
くじらのおでんが美味でございました。

なにも期待しないというのが、旅行での失敗しないポイントであります。
旅行だけでなく、生きるためのコツなのかもしれませんね。

で、翌日の今朝は、
「あの店は良かった」
と、適当に飛び込んだ、店のお味と料金を思い出して満足しているのでありました。

2021
11.28

茅ヶ崎の自宅の柚子が鈴なりに実っておりました。
いったい、いつごろ収穫したらいいのか皆目わからず、ただ仰ぎ見るばかりでありました。

と、柚子が実っているご近所がいて、みたら数が少なくなっていて、ははーん、収穫してイイのだなと思い、つるつるなジャンバーや軍手、ゴーグルを装着しまして、茨の木に挑みました。

柚子の木の枝にはやっかいな棘がございまして、油断しなくてもグサッと皮膚に突き刺さるのでございます。

やはり頭皮とか指を刺され、
「もう限界」
早々にリタイヤしたのであります。

まだまだ実は高いところで黄色く色づいております。

さて、柚子を使った料理に挑戦したくなったのでありました。

で、出来たのが、タコを使った柚子料理。

あまり美味くありませんでした。

が、このタレを納豆に和えたのであります。
「これは…!」
唸らせられました。

さらにご飯にぶっかけると、
「リゾット…!」

バターと塩とオリーブオイルでタコを炒めて、それから柚子の酸っぱいし汁や、皮を摺って入れただけでございます。

まだまだ改良の余地がございますが、柚子はたっぷり残ってございます。
風呂に入れるだけが能ではないのであります。

それにしても今年はミカンも鈴なりでございます。
当たり年とかであります。

それにしても、
「こんなことで喜んでいいのか」
贅沢な収穫なのに、複雑な気分になるのはなぜでありましょーか。

世界で変異ウィルスがふたたび蔓延しているのに、日本だけ激的に感染者が低いことに対しての罪悪感などではもちろんございません。
確証なき接種の情報を頭から信じ切っている世相に対してでもございません。
非常事態宣言が解除されたとたんに電車が混み始める日本人の単純さを軽蔑しているのでもございません。

見えてしまったつまらなさ、とでも表現いたしましょーか。

結婚した皇族や、無免許議員での集団イジメなど、人々が見えてしまったのであります。
生きてても仕様がないなぁ、鈴なりのミカンや柚子を見ながら、そして、その柚子の料理をスプーンでかき混ぜながら、ため息をつくのでございました。