2014
06.30

こんな花を摘んで、それを編んで首飾りにしてくれた、どこかの姉さまがおりましたが、生きていれば、すでに還暦を過ぎてしまっておいででしょう。

物置小屋の味噌玉の陰で、お毛のないお股を見せてくれたこともございました。
「秘密だからね」

そのような想い出はどなたにもあることで、それが時を超えて思い出され、味噌玉と藁の匂いを感じると形のない欲情が刺激されるのであります。
いつもは幼馴染の子と、隠れた遊びをしていましたが、ときとしてお姉さまのような子があらわれると、子供心にも背徳の悦びをあじわったものでございますです。

けれど、それもつかの間でありまして、お姉さまはこういうのでありました。
「もう、いけないことは出来ないのさ」と。

きっとお姉さまのお股は大人のシルシが現れていたのでしょう。
皮をむかれた妙に悲しいような快楽を忘れられずに、私メはその後も、お姉さまを者物置小屋に誘いましたけれど、オシッコやウンチをする姿を見せることも、ズロースを下ろしてくれることもありませんでした。

やがて私メのお股にも大人の兆候があらわれ、幼馴染の子ともお姉さまとも顔をあわしても、何事もなかったようにすれ違う孤独な関係へと時が流れるのでありました。

その後、祖母が亡くなり、葬式で顔を合わしましたが、若かったお姉さまはシワが目立ち、社交辞令を交わすだけでございました。

郷里の野を散歩して、花の首飾りの花を眺めた時、ふと、そういう時の流れを振り返りましたが、それも農作業をしているオヤジとすれちがうまでのわずかな間だけで、頭は仕事のことなどに戻り、想い出したことすらも憶えていないのでありました。

「愛した後はどうなるの」
「ヤルだけだよ」
「それだけ?」
「男と女はほかに何をすることがあるんだ」

お股にお毛が生えるまでの短い少年少女の時代、花の首飾りは、「また明日ね」と別れた切ないほどの淋しさに、愛した後に何をするかも分からない、恐ろしいほどの静けさの象徴のような気がいたしますです。

2014
06.28

庭はなんとか体裁がついたので…と手を見ましたら泥と草の汁で悲惨なことになっておりました。
カラダ中がイガイガでもありますです。

そこで車で一時間足らずの秘湯に向かったのでございますです。

「やや、これは珍しい人がいらしたガンスな」
と、出迎えられ、「いまだば貸切状態でヤンスよ」

全国でも数えるほどしか残っていないホントにひなびた温泉地なのでありますです。
国民宿舎に「元」と書き足した看板の文字もはげかけておるのでありました。

一泊二千五百円。
温泉だけなら四百円。
食事はつかないので、泊る場合は弁当を持っていかねばなりません。

忘れたら、10キロ以上戻ったところの商店まで買い出しに行かねばなりませぬが、夜間は漆黒の細道なので危険この上もございませんです。

が、本日は宿泊はなく、湯に入るのみ。

温泉の原点っぽい温泉地なのでありますです。

客は私メのみ。

体をあらい、湯に身を沈めるのでありました。

川の音が聞こえるばかりであります。
いや、鳥のさえずりも聞こえますです。

指先の泥はキレイに取れております。
窓のそとは緑でございます。

「もは終わりでガンスか?」
とオヤジに驚かれますが、これでも10分は我慢してつかっていたのでありました。

パラダイスとは、このことかもしれませぬ。

ふいに眠気におそわれ、ベンチでうとうとしておりましたら、「何年ぶりだべね」と煙草を吸いにオヤジがやってきました。
「二年くれがな」
と私メ。
「ことしは11月24日で閉めヤンスから」と気の早いことを言いますです。「もう一回くれ来たらどうでガンスか?」と癒しの言葉がつづくのでありました。
「んだば、紅葉のあたりに」
と、私メの返事も気が早いのであります。

滝も健在でありまして、尾根をつたった水はひとつとなって淵にすべりおちているのでありますです。

「そろそろ下界にもどるべかな」
と、ふたたび車にのりこむのでありました。

なにとぞ、この温泉がつぶれないように。なにとぞ、有名にならぬようにと祈りつつ、下界へとつづくトンネルへと入るのでした。

2014
06.27

「許してください。むしるなら、花がちゃんと咲くまで待ってください」
「ならぬ!」
と庭にはびこる草花をブチッ、ブチッとむしり取るのであります。

昨日、郷里のモリオカに戻ると、実家は草に埋もれておりました。

小さな命とか、かれんな命などというデリカシーは通用しませんです。

ホフク前進の要領で黙々と草を取るのみ。
土の匂いが汗に混じり、陽光にいぶされて体臭となっておりますです。

お陰さまで、なんとか庭らしく戻ったのであります。

あとは体裁をつければひと段落でありますです。
茂みと、そうでないところのメリハリが大切でありまして、チリひとつなく徹底した草取りは、私メの得意とするところなのであります。
小石にはさまった枯葉も許されませぬ。

この場所は、ちいさな丘の小径を辿って視線を前方に移したときに、木々の間からぽっかりと十和田湖のように広がる湖をイメージしたところなので、けっこう神経質になるのでありますです。

しかし、実家の周囲には、まだまだ伸びている夏草が目立ちます。

明日は自動草刈機で刈り取ってやるからな!と、一瞥し、本日の作業を終えることにいたしました。