2015
10.30

伯備線が米子にさしかかる前に、車窓には大山、いわゆる伯耆富士が忽然と現れました。

「あれ、岩手山ではないか」と、数日前に実家のモリオカにおりましたから、不思議な気持ちにさせられたのでございます。
それほど伯耆富士は岩手山、岩鷲山とも、岩手片富士とも呼ばれる山に似ているのでありました。

この世に生き写しの人がいるそうであります。
異国で、そんなお女性に出会ったら…という期待もございます。
付き合ってみると、姿かたちは生き写しでも、内面において異なっていてドギマギさせられるのも面白いかもしれませぬ。

誕生日が同じ人はたくさんおいででしょう。
そういうお方にあった時、生き方も運命も異なっているのは当然でありますが、四柱推命の根源が揺らぐかといえば、そうではありませぬ。

ともあれ、この画像が岩手山であります。

似ていますでしょう?

同じコニーデ型の休火山でありまして、四柱推命でいえば、同じ傾向を持つタイプと言えますです。

似通ったお女性でも、内面が違うと申しましたが、原点は同じカモしれませんです。生活環境によってお姫様にもなり、フーゾク娘にもなるわけでして、その分岐点を探るのはなかなか味のある作業なのでございます。
たとえばお姫様の悩みが「本当の友達がいない」であるとすれば、フーゾク娘は「人から嫌われている」のが悩みだったり、同じ生年月日による矛盾点を、ここから探っていくわけであります。

松江から戻ってまいりまして、撮った画像をしじみと…いえいえ、しみじみと眺め入っているのでございました。

2015
10.28

茅ヶ崎を6時前に立ち、11時には岡山駅にいるのでありました。

右から2番目のお女性が気になりましたが…いえいえ、その椅子に座っていたのでしたが、ちょっとした隙に場所を奪われ、仕方がないので出雲行きのホームへ。

仕事でございます。
松江のお方から家相の鑑定を依頼されまして、また秋の日本海も趣深いだろうとOKいたのでございます。

接続の伯備線まで小一時間もあり、暇を持てあまし、こうやってオナニー撮り。

後ろの男がチラチラと私メを見つめるのが気になります。

ホモなのでしょうから、ぶん殴ろうと思いつつも、自制心を効かせて無視。
大事の前の小事でございます。

それにしても空気がのんびりと流れているのが気持ちいいのであります。
岡山駅は、春に観音寺まで行ったときにも立ち寄りましたから、なんとなく親しみを覚えます。が、今回は「うどんキャラメル」は買いませぬ。

そして、本日分の鑑定を終えましたら、宍道湖の夕日が私メを包んでくれるのでございました。

そうか、松江はもう20年ほど前に隠岐の島に向かったときにも中継地点としてきたことがあったのだと、今になって気づいたのでございます。

たまには出張もイイものであります。
気持が踊っていることを実感いたします。
ほーれほーれ、はしゃいでいますでしょう。
このポストはしやわせポストとか。
前で写真を撮ると良い事があるそうでありまして、常ならば「ぶっ壊してしまえ!」なんて決め込むのですが、またしてもオナニー撮り。

我ながらおしょしいことであります。

じつは、オナニー撮りをしようとしていたら、若者に「撮ってあげましょうか」といわれ、「いやイイ」と断った後で、誰もいないのを見計らってカシャリ。

酒を飲み、仮眠して、そうだそうだと思ってブログをUPした次第でありました。

2015
10.27

ご近所からリンドウを分けていただき、眺めているのでございます。

夜風が窓を震わせております。

明日は西へと向かう予定がありまして、その準備も終わり、洋酒をちびるだけになっております。
飲んでしまえば、あちらの世界の住人。
飲む前のひとときは、たとえば恋を知らないでいた少年のよーでございます。

テーブルに頬杖をつきながら、今年を振り返り、去年を思い出し、その前の年はド~だったかと思いをめぐらすのでございます。

笑い声をあげつつ絶望へと転げ落ちているような気がいたしますです。
時代もいよいよ黒雲が迫っていますです。
安保法案の成立、TPPも合意を待って、アメリカは中国が決めた領海に侵入し、そして、そろそろマイナンバーという徴兵制の準備も完了。

人間の歴史は戦争の歴史でありますから、これもまた自然の成り行きなのでございましょう。
保守と革新を繰り返しながら、築き上げたものを破壊しなければ、つまり富めるものと貧しきものをシェイクすることで人間は生存できないよーでございます。

暴風雨のよーな時代まで、あと一年と少し。
ふたたび地震や噴火が相次ぎ、やがては外国人排除の暴力事件が連発することは避けることが出来ませぬ。
もはや善悪では解決できないのであります。

感情がすべてに優先し、理論や理屈は後付け。これが人の正体でありまして、さいごは暴力とあいなるのであります。

私メの講義も急がねばなりませぬ。
占いとは、その根本に人の本性が隠れておりまして、その本性を当たり前のこととして納得することが上達の道でございます。

なぜ貧しきものは最後まで貧しいのか。
学歴のないものは最後まで上に出られないのか、
これは、現状の世界の知られざるカラクリがあるからでございます。

暴力でしか、それらを覆すことができないパラドックス、これも人の本性とおなじく、世の流れなのであります。

「封鎖」という言葉を耳にする日も近いのであります。

たかが占いではありますが、しかし、科学とは別の視野に立つ、独特の世界が、そろそろ役立つ時代になりつつあります。

演説はこれくらいにして、そろそろウイスキーを呷りましょう。
少年がセックスをおぼえ、愛と濁情に迷い込むよーに。