2011
04.30

先日、自転車で鎌倉にきたとき、長谷通りの、このうなぎ屋に寄ったのでありました。

界隈では有名な老舗であります。
よく小説だのマンガなど、作中に扱われたりしておりましたですねぇ。
ためか一般の食いもの紹介雑誌には載っておらず、女将のプライドだったのでありましょうか。

が、代がわりいたしまして、最近では雑誌でちょくちょく見かけるようになって複雑な気持ちをいだいておりました。

暖簾をくぐると、以前のようなやさしいお婆ちゃん女将はもうおりません。
イライラしたような女が、
「うなぎなら、40分から50分かかりますからね」
こうでありました。

この店は、井戸でウナギを飼っていまして、すぐ前が鎌倉の海でありますから、塩気のある水で、ウナギの身がやわらかくなるのであります。そして注文を受けてからさばくので時間がかかるのであります。
それがまた店のウリでありました。
待ちながらウナギの肝のつくだになどを肴におちょうしを傾けるのであります。

やっと出来てきました。
さくっと箸にもってひとくち…。
美味い…というはずでありました。
が、どこか違うのであります。
かすかに泥臭いのであります。タレが薄いのであります。身が柔らかすぎるのであります。

美味いには美味いのですが、本当の美味さではございませんでした。
「オノくんは本当は冷たい人だよね」
という声が、心に蘇ってきたのでありました。

このうなぎ屋は、値段が高いこともありますが、私には特別な店であったのです。ここに来さえすれば美味いうな重が食えるという安心感に似た気持ちであります。
それがガラガラと崩れたのでありました。

最初にあまりにも高レベルの評価をつけすぎた悲劇でありましょうか。
かっこいい相手が、付き合っているうちに、ちょっとしたミスで評価が下がるのと同じようなものであります。
「あなたのそういうところは見たくなかったわ」
なんいいわれるのと似ておりますです。

初対面ではややお下品にふるまっていた方が、その後、プラスに加算されますゆえ、なにかと便利なのであります。

それにしても、店をひとつ失ったのは悲しいことなのでありました。

2011
04.28

愛犬ロメオも膝のうえで大あくびをするほど平和で静かな町なのでありました。

湘南はいま花の季節を迎えております。
つい数日前まで被災地にいたとは思いもよらぬ、まるで極楽にすんでいるような気分なのでございます。

私の見たものは何だったのか、悪い夢でも見ていたのではないかと思うほどであります。
昨夜まで体に沁み込んでいた釜石の臭いも、今朝は消えておりました。

まぶしいほどの花々が、たばこの自動販売機をつつむように咲きほこっているではありませんか。

抜けるような青空。
私は自転車で町を眺めるのでありました。それはちょっとした罪悪感をともなうのでありますから、よけいに花たちが目にしみるのであります。

女たちが手招きしているようでもあります。
その女たちはみなうすいベールをまとい裸のラインが透けているようなのでありました。

世の中には「運」というものがあるのだと、このたびの震災であらためて痛感したのであります。

それは、そのまんま東だったかが宮崎県知事になったとたんに、宮崎県に災難が次々に襲いかかったように、悪い運を背負ったパイロットが操縦する飛行機にのったようなものであります。

民主党が政権をとったこととの因果関係を研究しても面白いかもしれません。なにしろ民社党の地盤である岩手県に津波が押し寄せたのでありますから。
この幼稚な党に投票した日本国民もどこか狂っていたのかもしれません。

有能とか無能とかとは別の視点で「運」を見ていくことも今後は必要になっても良いであろうと、そんなことを思考しつつ、自転車のペダルをこぐのでありました。

おお、藤の花も見ごろなのであります。
藤は不死にも、富士にも通じますです。が不治にも通じ、バカは死ぬまで治らないと、我々に告げているのであります。

ならばバカのままでもいいではないか、スケベのままで朽ち果てようなんて覚悟をきめたりするのでございますです。

いつしか、自転車で鎌倉へと向かっているのでありました。
海岸線を、江の島を右手に見て、腰越を抜け、稲村が崎を通って、鎌倉はその向こうにあるのであります。遠いのであります。遠くてもいいのであります。帰る辛さなどかまわないのであります。行くだけ行くのであります。

花たちは家々の軒先から、あるいは道にたれさがるように、信じることができないくらいの絢爛さで、鎌倉まで痺れるような匂いをはなってくれているのでありました。

夏の一歩手前の、一年間でそう何日もない快適な陽気を、私は一人占めしているようであります。
まるで成熟するまえの一人の少女に手ほどきをしているみたいに。そして私自身もまた思春期の少年にスリップしたみたいに。

そんな贅沢な一日なのでありました。

2011
04.28

こんな質問が寄せられました。
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小野先生、いつもお世話になっております。

質問させていただきます。
四柱推命、紫薇斗数などの「時間」ですが、
「時差?を計算しなさい」と書いてあるのですが、
何処に対しての時差なのでしょうか?
先生の書籍には、いっさい書かれていないので、
関係ないと思いますが・・・、一般論としまして。
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日本の時間は明石時間を、「日本標準時間」としています。
そのために、東京などでは13分だったかの時差が生ずるのであります。

占いでも、一般的には、この時差を考慮いたしますです。

自分のいる場所を占いでは重視するわけで、自分のいる場所で太陽がもっとも真上に上がった時を正午とするからであります。
たとえば2011年2月3日23時以前と以降では、占いの命式がガラリと変わります。
以前では、2010年1月という期間の干支を用い、日付も3日です。
が、23時以降になりますと、2011年2月の干支を用い、日付も4日にいたしますです。
時差を考慮するしないで、ぜんぜん異なる命式になるというわけであります。
がーー。
神経質なまでに時差を考慮するのは西洋占星術のように正確な天文暦にしたがう占いなら分かりますが、アバウトなてころのおおきい東洋占術では、時差まで考慮することがはたして妥当かどうかは、ちと疑問であります。
四柱推命の干支とか、紫薇斗数のそれぞれの星は、西洋のような精密さと比較すると、かなり幅があるからであります。
占術が発生した同時に、はたして正確な時計があったかどうか。
占術で時間を大切にするのはどこの流派も同じですが、それは顧客に裕福な人たちが多く、彼らが社会的な成功者というステータスとしての時計を持っていたことと、どうもつながっていそうなのであります。
私の場合は、西洋占いでは時差をキチンと顧慮いたしますが、東洋占いでは、時差を考慮したものとしないものの二つの命式を考えつつ、当たっている方を採用するようにしておりますです。
このほうが東洋占術の時間の観念に合致しているようなのです。
なぜなら、前述の2011年2月3日についても正確な時間では2月4日の13自33分から新しい月がスタートするからであります。23時で年や月を分けるという東洋占術とは矛盾があり、それだけ東洋占術は時差よりもべつの観念を重視すべき占いのような気がいたすのであります。
簡単でありますが、よろしいでありましょうか。