2021
06.30

2021年も6月30日を迎え、半分が過ぎたのでございます。
クリスマスまであと半年。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんけれど、2021年の元日から、今日までブログを毎日更新してまいりました。たった1日をのぞいて。
念頭に、
「今年はブログの更新を毎日する」
を秘かに自分に誓ったのであります。

内容はともかく、
「まずはやりました」
そして、
「あと半年もあるのか…」
けっこう過酷なのでございます。

占い、メシ、恋、差別、テキトーと話題をいくつかに分けてはおりますが、日によっては、「気分じゃない」ときや、「疲れてブログどころじゃないよ」と弱気になったり、「酔っぱらってしまってます」と酔いに任せて何を書くか恐ろしくなった日もございます。

まあ、今年の大晦日迄、なんとか頑張りたいと思う次第でございますです。

2021
06.29

関東に戻り、私メもまた易者にかえったのでありました。

モリオカも悪くはないのですが、生活のリズムというヤツに馴染むのに時間がかかるのでございました。

今から申しますと、7月は27日あたりから、五輪を避けてモリオカに退避する予定でございます。
五輪が終わり、パラリンまでの間は、ふたたび関東。
パラリンが始まれば、またもやモリオカに。

十傳スクールも、モリオカの実家からリモートで講義することになるのであります。
鑑定も、リモート鑑定の確率が高くなることでございましょう。

疫病が怖いのではなく、五輪関係がたまらなく嫌なのであります。
そのために実家を建て直したのでございますから。

本当は、7月は五輪の開会式の前に退避したかったのでありますが、諸所の事情で25日までは足止めを喰らっているのであります。

しかし、易者に戻れて嬉しいのでした。
断易の神蓍のなかでサイの転がる音を聞くだけで、心が、
「ズバッ!」
といたします。
瞬時にして、易の渦の中に引き込まれるスリップ感はこたえられませぬ。

週末の講義もまた、
「どーしたら皆様を楽しく学ばせるか」
集中できるのであります。

晴耕雨読のよーな理想的な生活であっても、どこか不純さが混じることはございません。
占い一本!

いやいや、いやいや、ならばなぜおヌードの画像をUPしたのであろーか。
人間とは矛盾をはらむものでございます。
いやいやいやいや、もともと断易に限らず、占いというモノは生臭いものであります。
郷里の実家の、仏壇の線香と掛け軸だけでは、占いにはなりませぬ。

淫らさも、また占いのための栄養物なのでございますから。

いやいやいやいやいやいや、それは理屈。
老母という刑務官に監視された1週間のムショ暮らしから解放された証左かもしれませぬ。

2021
06.28

この世は誰のモノでありましょーか。
自分が消滅してしまえば、どうじに世界も消滅すると、いぜんも当ブログのいつだったかにUPした記憶がございます。
すべては幻想でしかないと。
鏡に映された世界だと。

いやーー
自分で自分は見えないのだから、存在する時から、自分は自分の存在しない世界を見ているのかもしれませんです。
鏡でしか自分を見ることはできないのでございます。

自分の内部から、外部の人やモノや匂いや音を、感情に絡ませながら解釈しているのでございます。
自分の内部から発せられる言葉や行動によって、外部は変化し、自分にとって嬉しい世界に変わったり、自分にとって辛い世界に暗転するのでございます。

私メに対し、怒り、あるいは笑い、ときには泣いたり、すねたりする相手は、五感を通して私メに対処しているわけでして、その相手が消滅すれば、私メも消えるということになるのでしょーか。

てな、結論の出ないアホなことを考えつつ、いつもの散歩道をあるくのでありました。
あまり名のない、そして人を集めよーともしないバラ園にたどり着きました。

嘘のよーにバラは少なく、しかし見事に咲いておるのでありました。

無防備過ぎるので、道行く人に手折られるかと思うのですが、バラを切り取った被害を聞いたことはございません。

盗む、盗まれるという観念がないのかもしれません。

ここに柵や、錠を付けたとたんに、盗みの被害が出るのかも…でございます。

モリオカでの日々が、しだいに重くなってまいりました。