2020
05.30
25歳ほどになったでしょーか。カメ子は、今年も卵を産みました。
無精卵ですから、子亀が孵ることはありませんが、季節通りの産卵。
暦での夏中(巳、午、未月)に三回、産卵するのであります。
その卵は庭に埋めるのが習わしとなっておりまして、そのせいか草木の色つやが良いのでございます。
カメの寿命は約60年とか。
とすると35回の夏を潜り抜けることになるのであります。
それはイイとして、問題は年ごとに巨大化するのであります。
すでに四キロを超え、衣装ケースで飼うには狭すぎるのでは…と思い、ベランダに数時間は放して居る次第であります。
では、6月のボイドタイムをば。
2020年05/31(日)18h18m in乙女 ~ 23h39m
2020年06/02(火)19h41m in天秤 ~ /03(水)01h07m
2020年06/04(木)20h38m in蠍 ~ /05(金)02h19m
2020年06/06(土)13h14m in射手 ~ /07(日)04h46m
2020年06/09(火)03h07m in山羊 ~ 09h55m
2020年06/10(水)23h37m in水瓶 ~ /11(木)18h32m
2020年06/13(土)21h45m in魚 ~ /14(日)06h03m
2020年06/16(火)09h50m in牡羊 ~ 18h36m
2020年06/18(木)21h03m in牡牛 ~ /19(金)06h01m
2020年06/21(日)06h49m in双子 ~ 15h02m
2020年06/23(火)16h21m in蟹 ~ 21h34m
2020年06/24(水)14h35m in獅子 ~ /26(金)02h06m
2020年06/28(日)05h04m in乙女 ~ 05h18m
2020年06/29(月)22h03m in天秤 ~ /30(火)07h49m
2020年07/02(木)10h22m in蠍 ~ 10h23m
2020年07/03(金)22h08m in射手 ~ /04(土)13h50m
ボイドタイム中は、人混みにでないことが、もしかすると中国人がもたらした新型肺炎から身を守る方法になるかもであります。
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2020
05.28
オルガンが得意であった頃もございました。
実家の屋敷を壊すまで、このオルガンは納屋の奥で埃まみれで眠っていたのであります。廃品業者に処分させましたです。
得意だと言っても、幼稚な曲ばかりであります。
昭和天皇の前でも弾いたことがございます。弾かされたという方が正解でありますけれど。
いまでも楽器屋とかホテルにオルガンがあると、つい触れたくなるのでございます。脳髄が求めるのであります、あの痺れを。
ピアノとちがってオルガンは指の腹の指紋のひとつひとつに音のかすかな残響が感じられ、それが脊髄につたわる心地よい痺れがございました。
お女性の背中を鍵盤にみたて、寝そべりながら右手だけで子犬のワルツをスローで指先でなぞっていましたら、
「封印したのは何故?」
尋ねられて、どーしただったかな。ちょっと考え込んだことがございます。忘れているのでございます。
「だまっていて」
背中の体温が指の腹から逃げていくのが惜しくもあり、だからお馬の親子に曲を変えてお茶を濁したのでありました。
世の中には、理由もないサヨナラが多いのかもしれませんですね。
別れなくてもイイ関係なのに、サヨナラしてしまう。
サヨナラの言葉のない別れも存在いたします。
気に入って毎日のようにかよっていた喫茶店なども、これという理由もなく足が遠のいてしまうことだってあるわけです。
お気に入りの万年筆や、大切にしていた音楽CDがふいに失うことだってめずらしくありません。
このたびの疫病騒ぎや緊急事態宣言騒動で、まだ5月なのか、もう5月なのか、時の感覚のリズムがくるってしまい、これから雨季が来て夏になり、そして秋へと傾く時間の流れが、とても遠く苦しいものにかんじられますですね。
そして、きっとおそらく、それが何かとても大切なものとサヨナラしてしまっているはずであります。いまはサヨナラした何かが分からないけれど、耳を澄ましても聞こえないけれど、けっして戻ってはこないものなのでしょう。
イタリアのポンペイという都が一夜にして滅び、その後、千年以上も、そこに都があったことすら忘れられていたよーに、いつか、
「失くしたものはコレだったのか…」
と発見する日がくるかもしれません。
「何も訊いてはいけない。遠い昔のことなのだから」
指先だけは鍵盤を憶えていて、お女性の汗ばむ背中をなぞるのであります。
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2020
05.27
緊急事態宣言が発令の前後に、いくつかの引っかかるワードが飛び交いましたです。
「大切な人」という言葉も、そのひとつ。
大切な人を守るために、不要不急の外出は控えましょう。など。お婆が厚化粧でマイクに向かって喋っておりましたです。
「…いたかな、それに該当する人は」
ずいぶんと引っかかる言葉でありました。
志村某とかがオッ死んで、一時的に世間は「素晴らしいコメディアンだった」とかご追従を述べておりましたが、個々にとってはどーでもイイ人。志村某かと千円を比べたら、個人的に千円を貰う方が断然イイのであります。そしてそれほどの実力だって疑わしいもの。けっきょくはどーでもイイ人なのでありますし、だいたいすべてそのような価値しかないのであります。
胸に手を置いて考えても大切な人などいないのではないかと。
実父が死んだときも、
「ああサッパリした」
だけでありました。
叔父たちが続けざまにくたばっても「ざまぁみろ、」嬉しさだけ。墓地でも「成仏はさせぬぞ」と墓石に唾棄し右目をすぼませているのであります。ほんとーです。
生き残っている叔母を見かけては「お元気で」と笑顔のかげで「はやく死ね」と呪文を唱えるのであります。
人を愛する機能が失われているよーでございます。
が、犬は違いますです。
愛犬ロメオは、そろそろ老犬でお別れも近いのでございますが、その瞬間を空想すると胸が張り裂けるのであります。
「中国人どもを全員ぶっ殺してでもイイですから、ロメオの命をお救い下さいませ」
神様にお祈りするのでございますです。
もちろん韓国人はそれ以下も以下。存在そのものを許してはおりませんです。
いえいえ、差別ではなく好き嫌いであります。また差別だから、それがどーしたと言いたいのであります。愛することで、すでに差別ははじまっているのであります。
ロメオのためなら天皇を朝鮮どもに「好きにいたせ」と進呈してまったく構わないのであります。なぜ天皇をバカみたいに敬うのか、日本ザルの胸ぐらを掴み「正気か!」とただしたいのであります。「戦の元凶だぞ」と。
こんな感情は、私メだけではありますまい。
すなおに自分の心をのぞくと、人間愛どころか、憎悪しかないことに気づくはずでございます。
中国人がもたらした新型肺炎が収束すれば人々は「なにか面白いことはないかな」
と不幸を期待するのでございます。
ああ、なんと優雅で自由な日々であったことでしょう。人との接触を避け、愛などという嘘臭い宗教染みた言葉から解放された自粛の日々。ロメオとの日々。
地震よ起きよ、富士山よ噴火せよ、TV局を爆破せよ。何でも良いからメチャクチャになれ! もっとだ、もっとだ!
神様、世界の人間に鉄槌を下してくださいませ! まだまだ手ぬるうございますです!
その代わりロメオとの楽しき日々をお守りくださいませ!
などと妄想に興奮しながら、愛犬、ロメオとの残された日々を数えているのでございますです。
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