2019
09.16

向かって左が、在りし日のジョルノでありました。

死んだのであります。

金曜日から、食欲がなくなり、
「どーも変だ…」
と、朝の歯磨きのとき、抱き上げたら、死の鼓動が手のひらに伝わって参りました。

何匹も知っておりますから、これはダメだ…、病院にいくだけ苦しませることになると直感いたしました。

土曜日は、スクールはお休み。
さみしくなるほど軽くなったジョルノを膝に抱き、仕事をしていました。

おそるおそる占うと、
随官入墓。

断易では大凶の卦でありました。

そして、日曜日の朝、硬直して冷たいムクロになっておりました。

満九歳。

生後一年はもたないだろうと、ずっと前に獣医から宣告されておりましたから、十分だろうとは思うのであります。

死の前夜、私メの前に近づいてきて尻尾を振るのであります。
頭を撫でたら、いつもとは違う温もりがあり、
「サヨナラ」
と伝えたかったのかな。

嘔吐のあともなく、尿もなく、舌をわずかに白く歯の間からのぞかせ、わりあいに楽に、眠るように死んでおりました。隣で寝ていたロメオが、ひとりで死んでいったジョルノの毛のない背中を舐めて困ったような表情をしておりました。

日曜日の断易NEXT科の講義は、こーした背景で行われ、朝9時に火葬屋に渡したムクロは、今頃は骨になっているはずだと意識のよこっちょにはためいておったのであります。

11時からの講義で助かりました。東京へ向かう東海道線で気持ちを立て直しました。

受講生の一人に、犬の餌をいただき、
「もういないんだ、死んだんだよ」
とうったえたかったのですが、「人も食えるのかな」とおどけたのでございます。

人と悲しみを共有したくないという思いもありましたが。

おもうぞんぶん、くるしさを満喫し、いまやっとブログUP出来るのであります。

2019
09.14

朝の神楽坂は散歩に最適であります。

仕事人は忙しそうにメシを食い、職場へと急ぐのであります。
夜のいでたちとは異なり、
「ははぁ、上下で八千円はしないな」
と、それでもオヒャレっぽく着こなし、眉間に剣針紋を刻ませて、のどかに散歩している私メにぶつかるような歩き方をするのであります。

それも虚しいのでございます。

やがて時が経てば、皆様もジジィ、ババァと老いさらばえ、次のしかめっ面世代にバトンタッチするわけでありますから。

「いま」が、どれだけ大切なのか認識するような年齢になってはお仕舞いかもですね。

飯田橋まで坂道を下ると、カナルカフェ。
カナルは水路とかの意味でありましたね。
お仏蘭西みたいでロマンチックなのですが、この時期は蚊に悩まされるという現実が待っているのであります。

散歩という行為は、人生とか運命などを考えさせられますです。
たとえば、先ほどの剣針紋のお女性は、人生のほんの短い期間に付き合った関係だと仮定したり、下り坂は、楽に人生を送っていた時期だとか。

仕事人とは簡易もなくブラブラしているということは、無頼の人生なのかと改めて痛感いたしますです。

でも、けっしてサボっているわけではなく、これでもテキストを作成したりして、朝から疲れ果てているのであります。

散歩は、どこかで戻ることが散歩なのであります。
東京大神宮という、縁結びの神社を折り返しの場所として、境内で一休み。

「なるほど、神頼みするわけだ」
同情したくなるお女性の群れに中に、美貌の男子が一人。
なんと、
ウィンクするではありませぬか。

吐くか殴るかであります。

が、疲れ果てておりましたから、すたすたと足早に退散。

おかげで、靴擦れができましたわい。

2019
09.12

10月からスタートする「断易初等科」のテキストを印刷し、製本したのであります。

丸一日かかるのでありました。

初等科は、
「断易入門編」
「断易講義草案」
「断易における用語およびその解説」
の三つのテキストを使うのであります。

初等科としては濃縮されたものであります。

私メが鷲尾先生から教わていたころは、テキストなどなくて、すべて、黒板に書いたものを書き写すという作業でした。
それは、それでイイのですが、
「いま断易のどこを習っているのか」
「どれほどの分量があるのか」
まったく分からなかったのでした。

テキストがあるだけで、自分が、どこを勉強しているのかが分かるという利点があります。
「断易入門」で、まず断易の大まかな範囲を知るのであります。

私メは、無鉄砲にも、「断易における用語と解説」のところで、すでに、いまは無き厚木パルコで雇われ占い師として土、日曜日に鑑定をしていたのでありました。
「オノさんのは五百円鑑定だな」
と、師匠にからかわれたものでありました。

それでも断易教室に通っていたのは、実際の鑑定をすると、どーしてもお客様におもねた判断をしてしまい、そのうちにイイ加減鑑定に傾くわけでして、確固たる主軸をキープするためでございました。

さいわい鷲尾先生はキッチリと教えてくれる師匠でありました。
腹が立つのは、質問しても、バカげた質問には一切無視して答えないこと、それと、答えるにしても禅問答っぽいことでありました。

禅問答に隠された回答を体験的に知るには、五年以上かかりましたです。

自分で知るには無駄な時間の浪費。
それぞれ、
「ここはこーだから」
と講義して進めたいのであります。

今月、断易初等科の最終回の時、いままで語らずにいた、「断易上達の方法」を口にいたしましたが、今後も、断易の、「文系的」な解説とともに、「理数系的」な解説も講義に挟んでいきたいと思うのでございますです。
年齢的に、断易だけでなく四柱推命も奇門遁甲も、あと何クールできるか微妙な老域に入ってて来ましたので、ボケる前に、語るべきことを語ったおかねばならぬと、しみじみ悟ったのでありました。