2014
11.30

明け方の豪雨で諦めかけながらも「行くだけは行ってみよう」と竹田城跡に向かったのであります。

観光客もほとんどいないのでありました。

不思議なことに、ふもとに着いたら雨は止み、周囲の山々は画像の通り雲の水蒸気があがり始めたのでありました。

結局は、この城跡で、いちども傘を使うことなく京都を経由し自宅へと帰り着いたことは、天候に恵まれたと言わねばなりますまい。

雲が切れ出した時の「気」は大切であります。
私メは濡れた地べたに気をつけつつバッグから福本銭を取り出しまして、大気にかざしてみたのでありました。

ほとんど無人なので、誰に気兼ねすることもございませぬ。

無人とは申しましても見張人はおりますです。
CМ以後、急に脚光をえたために地元は浮足立ち、クルマの乗り入れを規制し、城跡に立入り禁止のロープをめぐらしたくらいにしておりましたが、それもセンなきことでございましょう。

彼らは彼らの信ずる道を行けばよいし、私メは私メの決めたことを実行すれば良く、そこで衝突しましても、妥協や話し合いをする時間の無駄使いをするつもりはないのであります。
注意されましたら
「気軽に声をかけるな、ホモか、オタクは?」
のフレーズを使用するだけ。
ホモが、中国人となったり朝鮮人、あるいは民主党と時と場合によって使い分けるワケでありますが。

「気」はむろん、私メの体内にも染み込んでいるはずであり、やたらと睡魔が巡ってくるのであります。

おそらく玄武岩と思われる石垣に寄りかかり、エイトマンとなるのでありました。
つまり、
「むっ、強化剤が切れてきた」
と煙草を吸いこむのであります。
一帯は禁煙。
が、それは人間が勝手にこしらえたオキテ。私メには通用いたしませぬ。
係りの人がいましたけれど、見て見ぬフリをしてくれておりましたです。

まずは、これで全行程を終えました。

あとはスタスタと関東に戻るのみ。
お女性との濁情後に歯を磨いて帰るような感じでありますです。
旅の余韻とかそういう情緒的なものは、帰ってからの話の中でしかないものであります。用が済めば、振り返る事すらせずに、最短距離で帰るだけであります。

今回の、福本銭、お分けするのが、いささか惜しくなっておりますです。

2014
11.28

丹後の名所の神社のさざれ石に祈願のこもったコインの数々がハメられております。
そこに持参の福本銭を一つずつハメては袋に戻すことを含めておりました。
「福本銭だってよ」
などと若造の言葉が

後ろで聞こえておりました。
振り返りざまフェニャ顔に一発お見舞いしたい衝動をこらえつつ、社長としての仕事かどーか分かりませぬが、すべきことを為すのでありました。

ほれほれ、ちゃんと福本銭があるべさ。

が、この仕事をした後は、ずっしりと肩に重さを感じまして、立っている事さえままならぬ疲労を覚えたのでございました。

霊の存在などせせら笑うのが私メの習性でありますが、霊とかなんとかは分かりませぬが、ちと強烈な「気」の重さのある鞄をかついで、そうです、城崎温泉へと向かうのでありました。

疲れのために、風情の画像を撮影することはできませんだ。

思えば、私メは中小企業とはいえ、社長なのでありました。

よーし、今夜は良き旅館に泊まることにいたまして、ほれほれ、名酒、但馬を二合徳利で、まずは二本。

このあと、さらにスコッチを。

やっとのことでブログUPしているのであります。

明日は、奇門遁甲の秘伝の一つ、二重天盤の効用を、この福本銭に沁み入りさせる所存でございますれば……今夜はアーメンであります。

2014
11.27

気づいたら北丹波鉄道に乗っているのでありました。
寝不足で、うとうとしているうちに目の前の風景は変化するのでした。
開運カレンダーの付録にする福本銭をバッグに入れまして、開運の「気」を入れに列車は走るのでございます。

たとえ天変地異が起きようと、地に戦いが満ちようと、自分さえ良ければ良い。これが運命学の基本的な立場でこざいます。

自分さえ良ければいいのに、自分だけがダメだというのが現実でありまして、その元凶は、心の中に救う誤った優しさ、独りよがりの愛情、つまり優柔不断なのであります。
この別名、貧乏神の優柔不断さを福本銭に吸わせ、それを捨てる。
福本銭の効用がこれであります。

で、その場所へと、私メは旅行をしているのであります。

ここは由良川。
喜撰法師が、
「由良の戸を、わたる舟人舵をたえ、ゆくへも知らぬ恋の道かな」と呼んだといわれる川でございます。
一説には、その川は四国の川だとも言われますが、まずはそこはテキトーに。
山椒大夫の舞台でもあります。

いまは貧乏ジーゼル電車が走るのみでありました。

秋の日は山におち、夜の気配が忍び寄っているのでありました。
発作的にとある駅に降りるのでありました。

なつかしい跨線橋をみかけたからというわけではありませぬ。

一両車両の次の電車は1時間後だということを記憶のすみにとどめ置き、無人改札を出たのでありました。

人がおりませぬ。
いたとしても、迎えに来た軽トラにのって何処かえ去っていくのでありました。
私メだけが駅に取り残されるのであります。

いっぱいのラーメンで良いのであります。カレーだっていい。
やはり冷や酒一杯もあれば、より良いのであります。

店がありませぬ。
これが駅前の風景。
いやありましたです。
しかし、淋しき空腹は、「そこではない」と告げるのでありました。

さて、この旅行は聖地へと明日も続くのであります。
ずっしりと福本銭が肩に食い込むのでありました。