2023
09.25

隠遁生活入門、とでもいうのでしょーか。
セミリタイヤ初級コースなのでしょーか。

世の中を遮断し、岩戸に隠れたみたいな生活でございます。
じじつ門扉にかたく鍵をかけ、他者の訪問を拒む姿勢をとっております。

誰ともほとんど会話せず、思えば、たいしたことはなにも考えず、それでも定刻に起床し「チョーセン人を殺せ!」「中国人を皆殺しにしろ!」「はやく戦争しろ!」の朝の祝詞を雄たけび、掃除を欠かさず、食事を摂るのであります。

この日の夕食は、ハモ丼。
土曜日と日曜日にだけ開店する土日ジャンボという掘っ立て小屋で、ハモを買ってきて、熱湯をそそいで黒いヌルヌルの臭みを取り除き、かば焼き風に調理したのでございます。

料理というものは愛する者への無償の奉仕。が、自分一人のためだけの行為になっているところが、セミリタイヤの愉しみと言えますです。
人は一人では生きていけないなどの妄言は、やはり妄言だったと確かめることもできました。

秘伝のタレというのも眉唾物でございましょー。
十分に美味いのでありました。いや、そこらへんの鰻屋よりもずっと美味。

世俗と隔離していますと、必要なものと無駄なものが、物質面、精神面でもよく見えてまいります。
さいわいラインもスマホから外していますから静かでございます。
「つながる」「よりそう」というのが、お女性との接続は別として、暑苦しくて大嫌いでありますから、とても気持ち良い日々なのであります。

ただ、誰もいないし、誰からも見られていない生活ですから、手抜きをしようと思えば限りなく手抜きできるのであります。
炊飯器ではなく、パックご飯を利用することも手抜きであります。
さらには、そのパックご飯をお茶碗に盛らずに、パックの容器のまま食うことも大変な手抜き。
そーなってしまえば不幸な孤老となり果てたと自覚しなければなりません。
手抜きがかっこよく似合うのはせいぜい20代まで。

30代、40代になって手抜き生活は不幸への一本道。
ベッドの寝具をキチンと整え、掃除機だけでなく拭き掃除をする。トイレは使用のたびに。玄関のチャイムが埃で汚れていてはいけません。(誰も訪ねてこなくても)。キッチンのシンクは清潔に。食ったら、食器はすぐに洗い戸棚にしまう。鏡に歯磨きのしぶきは飛んでいないか。生ゴミは見えないところに整理してあるか。

まぁ、これくらいでしょーか、幸運の準備は。

ハモはまだ残っておりますから、タッパーに入れて冷蔵庫に保続することに致しました。

2023
09.24

墓参りは、いつも遠くの墓地からスタートいたします。
決めたわけではないのですが、そーいう習慣になっているのであります。

今回のお彼岸から私メ一人での墓参りとなるのであります。

モリオカ市内からクルマで一時間。
荒れ果てた墓地なのであります。

そして、そこには外戚の伯父が瞑っているのでありました。
もう50年前になります。
死因は酒の飲み過ぎによる栄養。
ベッドで酸素マスクをセットされながらも、人差し指と中指をそろえてタバコを吸う仕草で、タバコをくれと求めるのでありました。

だからロウソクの代わりに火をつけたタバコを供するのでございます。

さて、その墓石には、お盆のときに立てたタバコがそのまま、枯れ果てた供花とともに残っていたのでございます。

その墓地には水道設備もございません。
家から持ってきた、水を入れたペットボトルが必需品なのです。

枯れた花を取り換えよーとして、
「ギョッ!」
としました。

枯れた花の茎に、新芽が出ていることを発見したのでございます。
奇跡か…。
なにか強いものに打たれた気がいたしました。
シーンとした無人の墓地でございます。

奇跡というものは、いつもこーして絶えず起こっているのだ。

それに気が付くか、なのだ。

旧約聖書のイザヤ書に、枯れ木に花が咲くというヤッが書かれていた気がいたしますが、だからと言って「おお神よ」と十字を切るまでもなく、しかし、奇跡とは、発見できるかどうなのかではないかと思ったりいたしました。

自分の求める都合の良い奇跡は起きず、どーでもよい奇跡を見つけたところで、
「こんな奇跡ではなくて」
捨て置きたくなるもので、奇跡を奇跡と認めることすらしないでしょー。

が、墓地という滅んだ者たちを埋葬する忌むべき場で、あらたな命の息吹を見つけるということは、ダブルの奇跡かもしれません。
なにやら啓示めいてまいりました。

2023
09.23

昨日、妹が残した言葉を反芻しながら、墓参りに行くのでありました。
「ノッチちゃんには気を付けた方がいいよ」
ノッチちゃんというのは妹の同級生であります。
妹にお金を貸してくれと頼んだそうなのでありました。
「んだから」
とやや間をおき、
「そっちにも連絡がいぐごったよ」
そっちってオレにか?と言いましたら、なにトボけて、わたしの友達を総なめしたくせにと、運転中の私メにニヤリとしたのを気配で感じ取れました。

それには答えず、
「誕生日はいづだっけ?」
こんなとき、暦を見ずに、生年月日の干支を暗算できるのは便利でございます。
三年前に大運が切り替わり、それ以前に変なことをしていれば、かなりのダメージを瞬時に受ける運命であります。はんたいにそれ以前に普通に過ごしていれば被害は最小で済むことになります。
「当たり~」

ノッチちゃんの蛇のよーな目のぬめりが記憶から浮上しました。
妹の部屋で、ちょっとオイタをした10代。
「ざわざわする」
階段をのぼってくる妹の足音でくちびるを離しましたです。

いくら貸したのかと聞いたら、妹は、「やっと取り返したのさ」。
「30万か?」
「当たり~。なして分かるの」。私メが易者だということを忘れていたみたいであります。

「お兄ちゃんは、変なところで気前がいいんだおん。ホントに気を付けでよ」
「まずまず」

ヒリヒリして歩けないというノッチちゃんに、すこし苛立ちながら明け方の渋谷の道玄坂を下ったのは20代のはじめ。秋だったかな。

とつぜんに電話があったのは、本当に結婚していいのか迷い、それまでの男たちに連絡しては上京し恋の巡礼をしていた彼女が30歳のときでした。たしか赤坂のホテルに宿泊していたのでした。
「上手くなったねぇ」と感心したら、「ふふふ」と目をぬめらせて見上げた、ぞっとする妖気。
帰り際、剥き出しのお尻を二度ほどペンペンしたことを憶えております。

最後は亡父の葬式あたりでしたか…。20前であります。参列者でした、なんとなく誘われ、バーでいっしょに飲んでいるうちに。老母所有の貸家の鍵をポケットに預かっておりました。
空き家の埃臭い小部屋で、畳の目を爪でかきむしってのたうっていたノッチちゃん。鎖骨から乳房の谷間を流れる汗がこぼれていました。畳に手を付き荒い息をしながら、こんなに汗かいてしまって。もうおなかいっぱい。それでも痙攣がやまない彼女のわずかに皺がたたまれた目元の奥から、ぬめった、あの白目。

妹は、私メの心を読んだのか「もうシワシワの歯っ欠けお婆ちゃんだっけよ、おととし万引きしてつかまってホテルでの掃除夫もクビ。すっかり落ちぶれてだっけ、家庭崩壊。子供にも弟さんにも見捨てられ、家も売って、はぁ人生終わってらっけ」とニヤリの気配。

妹を降ろし、一人のクルマの中で、運命を痛感いたしました。
四柱推命を知らずに生きていれば、最悪の道を選ぶことになると教えてくれた兄弟子の言葉も。
墓石たちの下には死者たちのそれぞれの運命が。
なんだか、無性に叫びたくなりましたです。