2021
08.31

奇門遁甲カレンダー2021年下半期版をご利用の方にお詫びと訂正です。

2021年9月7日の時間盤が間違っておりました。
訂正を画像UPいたしましたので、ご覧ください。

本来であれば、ご購入の皆様に、訂正の個所を郵送しなければならないのですが、9月7日と、押し迫った日程ですので、ブログで訂正をUPした次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このようなミスをしないよう細心の注意とチェック体制を強めてまいります。

今後とも、どーぞよろしくお願い申し上げます。

小野十傳

2021
08.30

恵まれた日々でございました。
みなさまが中国人がもたらした疫病だの、くだらぬ五輪の渦の中で、耐えがたき生活をなさっているのを尻目に、ひと夏をのん気に郷里に引きこもって退避していたのでありますから。

そして、温泉三昧でございます。

自分では落人気分ではありましたけれど。

しかし、退避生活も、そろそろ終止符を打つ時が迫ってきましたです。
おのれに課したノルマも達成し、このまま、居続ければ腐ってしまうことでございましょー。
すでに腐りかけておることは自覚してはいても、であります。

夏のはじめから、夏の終わりまでいれば、十分なのであります。

この贅沢は、自分の四柱推命の命式と大運を工夫したからだと言えば、いささか僭越かもしれませんが、私メのよーな火炎土躁の最悪な命式でも、そして大運が到来したとは申しましても、それはほとんど忌む大運。忌む大運から、すこしでも光をと、息も絶え絶えなたった一つの喜神を育てたからではないかと、多少の自負はございます。

その絶滅しかけた喜神に生を与えられることを、鑑定のお客様にも当てはめ、
「諦めるのはまだ早い」
などと、奇門遁甲などを馳駆しているわけでして、あるいは断易によって現状をつぶさに把握したりして、近頃は、鑑定とは、一方的に言い放って終えるのではなく、数本の命綱を支えながら、一定の期間を通じて、モノに仕上げていく、一種の栽培のよーなものではないかと思っているのでございます。

命式も知らず、大運の意味も知らずにいれば、悪しき運命の罠にはまっていくしか道はございません。

四柱推命初等科から卒論科に至るまで、講義のはしばしに語っていることとして、
「四柱推命が絶望の運命学ならば、四柱推命はすでに滅んでいるだろう」
だが、四千年もの長い期間、その間には、時代が変化し、人間の価値観が変化したはずだが、それでも四柱推命がいまに伝わっているのは、そこに、
「開運の種」
が蒔かれているからに相違ありませんです。

ただ一つ、欠点があるとすれば、四柱推命の指し示す開運と、その人その人が希望する開運とが、異なることかもしれませんです。

2021
08.29

三十代の中頃まで、夏になると山の中の沼でキャンプをしたものであります。
クルマを停めたふもとから、これという登山道はなく、沢伝いに登り、それからは大木などを目印に藪をごぐのでございます。
二時間ほども上り詰めると、不意に視界がひらけ、緑色の草原を見下ろせます。
そこは草原ではなく、周囲の緑色を映した沼面なのでございます。

だから秋は鈍色の空色。しかし、冬はなぜか黒色。

つまり夏だけでなく春夏秋冬、人々に腹が立つと沼にキャンプするのでございました。

沼に注ぎ込むちいさな沢に石でいけすのよーなものを作り、食料を保管いたします。冷水の冷蔵庫であります。あとは国有林の樹木を根元から切り倒し、火をつけますです。樹木一本で三日はもつのであります。
そーして釣り糸を垂れるのでありますです。

そのむかし、一人の男が、桶に鯉を担いで放流してから、野鯉が繁殖したとか。しかし釣れることはほとんどございません。
ただ水面の波紋や映し出された雲や、風が渡ってくると立つ、さざ波を眺めるのみ。

そして夜。

沼エビどもが岸辺に寄ってくるのであります。
懐中電灯で照らしますと、透明なエビが眼球だけ銀色に光るのであります。
そこを手網ですくいあげるのであります。
二三十回も繰り返すと飯盒に一杯になるのであります。

エビたちにも個性がございまして、懐中電灯の光に好奇心を示す数匹のエビがまず、岸の間際まで寄ってきて、そのおくにはエビの大群が控えておるのであります。慎重なエビの数匹はひややかに大群からはなれた深みで目を光らせております。
犠牲となるのが、好奇心に満ちたエビども。
「人間と同じだな」
捕らえられた好奇心のエビはキイキイとなくのでありますが、やがては塩をまぶされ火あぶりの刑に処せられるのであります。

これが貴重なタンパク源。
雨降りなどは、テントの中で、ただエビを食って過ごすしかなくなることもございますです。

ある年の初冬でしたか。
ふもとでは積雪はゼロ。でも登るにつれて雪が深くなりました。膝までの雪をごきながら30キロほどのリュックを担いで登っておりました。
へんな殺気を感じたのであります。
振り向いてもなにもございません。

しかし、木の皮が剥ぎとられている痕跡を、ここかしこに発見いたしました。
「熊だ!」
直感し、引き返しましたです。

熊は縄張りを示すために、可能な限りの高さに爪痕を樹々に残すと聞いたことを思い出したのであります。

それから、翌年も、さらにその翌年も、翌々年も、多忙になり、沼に足を踏み入れておりません。