2023
04.12
04.12
日付は昭和48年1月6日(土)とあります。
ノートを破いて書いた手紙…メッセージでしょーか。
古いショルダーバックから、この紙切れが出てまいりました。
18歳の私メに宛てたヤツであることは明白。
けれど記憶からこぼれているのでありました。
当時、私メはモリオカに住んでいて、ときたまある喫茶店にかよう常連といえば常連客でございました。その喫茶店には、他校の女子高とか普通高校とかの奴らもたむろう、いわば同年代のたまり場でありました。
24歳のマスターが一人で切り盛りしている小さな「サテン」なのでした。
スマホのない時代でして、お女性の家に電話して呼び出すと、
「あんだは、どなたさん?」
「うぢの娘とどーいう関係なの?」
と根掘り葉掘り聞かれるのが嫌で、その喫茶店の電話をとおして連絡しあっていたのでした。
念のために記録を調べましたら、昭和48年1月6日(土)の夜は、若園町にあるレジャーセンターでスケートを楽しんでいたと記されています。
きっと彼女に電話することを忘れていたのでしょーか。
しかし、スケートのあとにバスで、その喫茶店に行ったことは間違いないはずです。…記憶にありませんが。
私メを待ちながら、詩でも書きながら、そのうちに8時を過ぎても電話が来ないのでイライラし始めたのだと思います。
若い恋とは、ちょっとしたすれ違いが致命傷になることが多いものでございます。
これが年配の男女関係になると、しぶとく成長するものですが。
オレンジ色のエナメルのネイルと、大きなサングラス、そしてスリムのジーンズ。当時のファッションがよみがえりますし、そういう女子高生に惹かれていた自分もまた懐かしいのでございます。
ほろ苦い追想のひとときでありました。
先生、、何人くらいの女を今までに、泣かせてきたのですか?
ひょっとして、女性に対する不信感や怒りをお持ちなんですか?
それで、いつも、女性が先生を好きになると、逃げるんですか?
(^^)
●十傳より→泣かされるのは私メでございますです。
先生、本のチョットだけ、サリーチャン入ってませんか?先日仕事場でトラックの運転手さんに、鏡よ鏡よ鏡さんと問いかけたら、テクマクマヤコン、テクマクマヤコンと言い返されました。昭和の戯れ言です。あの時は楽しかったな。
●十傳より→私メはもはや、ちょろい過去しかございませんです。
先生はこの後すぐ京都の大学へ?
学生証のup拝見しましたが男前ですね
目にとても力があって驚きました
●十傳より→受験の真っ最中でしたが、呑気なものでしたね。
磯野波平さんより年上になる日が私と
近藤真彦さんにも来たのでした。
そのココロは?
年を重ね、大運カーブの遠心力に負けない
レーサーになれたかも知れません。
●十傳より→私メはクロイワと同じであります。