2011
11.05
11.05
天球儀を眺めながら、考えているのであります。
運命を考えているのであります。
釜石で震災に遭い、モリオカの別宅にすんでいる従弟のことを考えているのでありました。
お嫁さんを失った従弟は、二人の可愛い娘にべったりなのだとか。従弟の母親、つまり私メの叔母が語っておるのでありました。
ところが、
「じつはねぇ…」
と話をつづけたのでございます。
「その子たちがネェ」と。
小5の姉が、鬼のような顔で、小1の妹の腕といわず脚といわず、歯型がのこり血が出るほど噛むのだそうです。
小1の妹は最近になって原因不明のおう吐に見舞われるとか。
来るものが来たのであります。
震災後の精神錯乱とでもいうのでありましょうか。
そして従弟の方は、小6の姉に、お嫁さんの面影を重ね合わせるのでありましょう。可愛がるというよりは、娘に慰めてもらっているのだと、私メは診たのであります。
娘の精神的負担は、かばりか大きいのであります。
やがて、小6の娘は思春期を迎えることでありましょう。
自傷行為に走らないとも限りません。
無事に成人できるかどうか。
病院一家にそだち、苦労をしなかった人たちが、いま大変な局面に立たされているのであります。
星々の凶を告げる赤い矢がいく本も、従弟の家族にむかって放たれているようにしか見えないのであります。
「人生の帳尻は合うものね」
と別の叔母は語っておりますが、天球儀を眺めつつ、ため息が出るのであります。
私目、その為に勉強を続けています。微力ながらも一人でも多くの方がきっと帳尻のあった人生が送れるよう、これからも頑張り続けます。
●十傳より→幸せと不幸の帳尻がプラス・マイナスがゼロならば、帳尻が合わずに幸せのまま逃げ切りたいところでありますね。現在が、幸せだと仮定してでありますけど。
よく、「人に与えられた幸せと不幸せは、みんな平等なんだって」と聞きますが、
それって、自分がどうしようもなく辛く不幸な境遇の時に聞くには、耳に優しい言葉で、少しの慰めになるのかもしれないけど、
幸せの真っ只中にいる時には、絶対ききたくない言葉です…。
従兄弟さんのお嬢さまたち…
幸せなお家に生まれて、恵まれたままで逃げ切って、ずっと幸せに暮らしてほしかったですよね。
こんなカタチの帳尻合わせはあんまりですよね…。過酷すぎます。
●十傳より→易者は、身内の不幸も冷やかに観察するのであります。それがお女性には、冷笑されていると受け止められている原因でありましょう。一種の、職業病だと自分を甘やかすのでございます。
先生、天球儀・・・素敵!!
E腹さんのお話や 本屋さんで精神世界のコーナーに立ち寄ると
たちまち具合が悪くなります 前世とか宇宙とかチャネリングとか
心や気持ち、思いのたけ・・目に見えないことは大切です
でも 目に見えないものは信じることは困難
私の中で <それとこれとはチガウ> 気がするんです
私がスピをNGとするのは 「一体何?」って自分なりに
あれこれ考えていたのですが 疲れちゃたので止めました・早っ
フォルトゥーナ、エナジー、パワー、いんスピれーしょん
感性、第六感、気 偶然 月星のバイオリズム は好きなんです
福本銭始め 熊手も、パワーストーン お守りも大好き
困った時の神頼み、ご祈祷もします
新月のメディティーションもやってます
アストロダイスやオラクルカード(タロットは私には難)
ビブリオマンシーも好き好き
なのに何故なんでしょうね まず前世とかサイキックとか
その様な言葉がダメ けれど どこからどこまで スピで
そうじゃないかって考えますと 混乱してめずらしく?
イライラしてきましたので このへんで夕食とさせていただきます・謝!
●十傳より→そろそろ、あの流行にも飽きましたしね。精神世界…猿の惑星たち好みでしょうが。信じるモノはダマされるのであります。アーメン。
占いで食べてはいけないとわかっているのに、自分のパソコンが占いパソコンになってしまうんですよね。集めたパワストもみんな占い石になってしまうし。とりあえずこれからバイトが始まるのですが、多分占い脳は一生捨てきれないような気がします。
●十傳より→それでいいのかも知れませんです。占いで食べるということは、自分の醜さのような部分をさらけ出さなくてはならず、その部分を、まるで魚釣りの寄せ餌のようにして撒くこともあるのであります。けれど、それでも占いはじつにおもしろい分野でありますですね。
ずっと幸せが続くというのは幻想。
ずっと不幸が続くというのも幻想。
何が不幸を幸に転じるのか
何が幸を不幸に突き落とすのか
その要素は人によって様々でしょうが、
それを運と呼ぶのでしょうか?
たった45年の自分の人生を振り返れば、
大小の幸と不幸が綿々と紡がれていたことがわかります。
ですから、これからもこの繰り返しだろうな、と漠然と感じています。
不幸を脱したのは『自分の力』とつい錯覚してしまいがちですが、
とある縁や運があってそれに自分が気付くことのお陰で脱することが多かったです。
結局のところ、自分の力は、『不幸に耐える』だけでした。
不幸を脱した時、以前の自分より頑強になった気がいたします。
きっと耐える力が増強したのでしょう。
しかし、次に訪れる不幸に適用できる力かどうか…?です。
不幸の真っただ中はそんな余裕はございませんが、
不幸を駆け抜けた後〈不幸も、結構、悪くなかったな〉と感じます。
最近は、そんな心境の時、無性にカレーライスを食べたくなります。
従弟様ご一家にも、幸せの日が再度訪れることを信じています。
●十傳より→過ぎ去った不幸のなかにも、じつは幸せがあると思う時もございます。不幸も幸せも、人と人の接点からスパークされる、そうですね幻想なのでありましょうか。そしてハッと気づくと、すっかり老人になっていて盆栽の枝をあやまって切ってしまったところとか…。
akikoさん、横入りすみません・・・。
なーんだぁ、同じ年じゃないですか。
そして、本名ならば、筆おろししていただいたお姉さんと同じ。
元彼女と同じ蟹座・・・。
これからもよろしくぅ。
●十傳より→と、いうことであります。
言葉が足りなかったようで…
不幸・幸は現実で、ずっと続く感が幻想であります。
盆栽の枝をあやまって切ってしまった…
そういうことを何度も繰り返して 味わいのある盆栽になるかもしれませんね
『禍(わざわい)を転じて福と為す』の言葉があるとおり
●十傳より→いえいえ、言葉は足りてますです。私メが「幻想」だけをお借りした次第でして。
先生、この画像の天球儀にももしかして不思議な力が秘められているんでしょうか。先生が不思議な力を秘めておられるからその持ち物にも不思議な力が込められるのでしょうか。
去年の春、天中殺の幕開けとなった事件があったのですが、その時に伏せられてしまった事実が今になって明らかになろうと事態が動いているのが私には解るのです。
画像の天球儀に引き寄せられたらしく、私も何度もこの画像を見つめ直しています。
ねじ伏せられた真実。広められた虚実。踏みにじられた人格。損なわれた「信頼」
本当に大事な事は、大事なものは、何があっても本当の輝きを失わず、運命の時を見計らって甦るのでしょうか。
今、また天球儀の画像に引き寄せられながらそんな事を思ってみました。
●十傳より→なにごとも楽しい方向で考えることが大切であります。
水瓶座のdaiさんは、1学年上の先輩ですね。
こちらこそよろしくです。
兄が同じ水瓶座です。
水瓶座考、楽しみにしてます
先生、daiさんのためにもスペシャル辛口考でお願いしますです。
●十傳より→かしこまりましたです。
何であたしのコメントだけマトリョーシカ現象が起きないのかしら?
ほら ↑ ↑ のコメントもキッチリと左の隅から始まっているし~~
〈Booooo…〉と思っていました。今、謎が明かされつつあります。
〈んっ?〉
『REPLY』
〈! こ、これは、まさか…今まで単なる文字だと思っていたけれど…〉
おお、なんてこと! これを押してコメントすれば、マトリョーシカができるんですよね!?
〈自分のところのREPLYであればだいじょぶ…〉
(ピンポンダッシュでもするかのように恐る恐るクリック)
はぁー、ようやく今になってわかりました。 恥ずかしいです。
十傳より→システムの仕組みについても、私メは無知でありまして、どこをどうすればアッフーンとなるのかわからないのであります。