2010
12.21
12.21
電話があり、待ち合わせに向かったところが、飯田橋のお堀にあるカナル・カフェであります。
12月とは思えないほどの暖かな午後でありました。
眩しい逆行がビルの陰に隠れると、たちまち夕暮れの涼しさが戻ってくるのでありました。
自由だ…。
年に何回もありませんが、私は自由な仕事をしていたのだとあらためて思い出すのであります。
「あなたの生き方はぜんぜん参考にならない」
などと飲み屋で言われたりいたしますが、参考になるために生きているのではありません。
が、そう言われますと、いちまつの淋しさもございます。
「羨ましい」
とも言われます。
たしかに好きな時に仕事をし、気が向いたら旅行をしますから、羨ましがられても否定はできませんけれど、何かが違うのであります。
それはきっと一人だからであります。
一人だからといって孤独を感じるわけではありませんが、同行してくれる誰かがいれば、それはぜんぜん違う思いを抱くことは分かっておるのであります。
逆光は向かいに座っている人の顔まで分からなくさせます。
言葉は聞こえても、誰の姿も見えません。
水音がして、視線を転じると鯉が背びれで水面を叩いているのでありました。
先生殿は ロマンチストな詩人でもあるでござりますな。
風水では 悩みや孤独を感じるならば人ゴミに行くべし!と言う金言があるらしいであります。たくさんの人に揉まれるうちに自分の悩みや葛藤など実にちっぽけに感じるとの事。逆に人がいない山や里に行くと余計 内に籠りドツボにはまってしまいまする。
●十傳より→別人格を装って旅行することも効果的であります。名前も、生年月日も血液型も偽り、こうありたいという自分を演じつつの旅行を提唱するのであります。
「おひとりさま」が長くても表参道を歩いていたら後ろから男性にカカトを踏まれると切なくなりますね。
駅のホームでも男性に踏まれますし、人との距離を少しは考えてほしい時がありますです。
年配の女性はレジで打ってもらっている時に凄い近ずいてきます。小野十傳さんの「オズマガジン」買いました!
私はやはりオヤジ系でした。
●十傳より→一人ぼっちも寂しいものですが、接近されすぎも疲れますですね。ちょうど良い関係はなかなかありませんです。
ちょうどいい関係とは
荘子の言葉を借りますと
『君子の交わり淡き水の如し、小人の交わり甘き醴の如し』でないでしょうか。ひとりひとりがつっかえ棒なしで生きられる独立した存在であれば
淡々とした付き合いで充分であり 依存したベタベタの関係は甘酒のように
飽きが来てつまらないとの事であります。
●十傳より→「水臭いなぁ」というのは君子の付き合いでありましょうか。辛口酒の付き合いは中人の付きあいなのかもですね。度数が釣り合っている付きあいは、もしかすると最初だけなのかもです。
拘束されながらも自由を楽しむ・・・。快楽のひとつかもしれません。
●十傳より→どうやら藤小町殿、汝は快楽の深さを堪能してきましたな?