03.20
スクールのない日曜日は貴重であります。
休日は外に出ても、たぶん人が多いとおもうので、極力、家の中で過ごそうと思っております。
とくに三連休で、お彼岸ですから。
雲を仰ぎながら、死んだ人を思い出すのは悪くない、休日の過ごし方なのでございます。
むかしの集合写真を眺めては、
「こいつも死んだ、これも死んだ、あっ、こっちは事故で死んだ奴だ」
数えていると、知り合いの半分くらいはこの世の人ではございません。
死に方もいろいろで、若い頃に死んだ知り合いは、事故でなければ自殺。
おそらく知らされていないだけで、生きていると思っているだけで、死んだ方々は、もっとたくさんいるはずであります。
そーして思うのです。
自分は、自分のいなくなった世界を見ているのだ、と。
鏡に映らない限り、自分を見ることはできませんです。
ビデオカメラでみる自分の不思議な事。
他人には、自分がこんなふうに見えているのか…。
怖ろしくもあるのであります。
お女性とお酒を飲んだりしている時、その相手である自分が空洞に感じる瞬間がございます。
自分という段ボールの箱の穴の中から、お女性を見つめ、声を聞いているよーな。
たまに気持ちが悪くなり、意識が遠のくことがございます。
そのとき、耳が遠のき、相手の声がプールに潜った時にきく鐘の音のように聞き取りにくくなるのであります。また視界も、カメラのレンズを絞るよーに、狭くなり、さいごには暗くなり、そのときには意識がございません。
「ああ、自分は死ぬところなのかもしれない」
臨死体験ぽいのであります。
そのときは、自分の肉体が「袋」なのだと感じます。
魂が飛び出すような体験まではしておりません。
ただ長い夢を見るのでございます。
意識が戻ると、倒れていたのは、この世の時間にすれば、ほんの一分にも満たないのですが、その夢は長く、意識の時間では丸一日ほど。死んでいった懐かしい面々に囲まれたりしていることがホトンドなのであります。みな笑顔なのでございます。
もう、明るい未来はなく、滅亡は直前までひたひたと迫っております。
疫病で死ぬか、投下された核で死ぬか、地震などの天災で死ぬのか。
かならず死が待っておるのであります。
そして、すべては望まない死に方でありましょう。自殺以外は。
お女性のグラスに氷とウィスキーを注ぎたしながら、
「こんやは、殺してくれないか」
明かり消し蝋燭に灯をともすのでありました。
いや〜ん先生ったら。
生きるためにモリオカのご実家を
改装されたんじゃないですか。
でも私も最近
自宅の非常食の在庫が足りているのか
占った所、上爻の子孫が化絶しました。
終わりでーす。
●十傳より→死ぬために建てたのであります。
年たけて また越ゆべしと 思ひきや
命なりけり 小夜の中山
日常に音もなく、花や灯明をも吹き消す 無情の風。
西行の歌…まさかなんとなくわかる年齢になってしまうとは!
時代の虚無感も、六冲卦の直前な? 終わりは、新たな始まり??
奇門遁甲 戊乙の方角の吉方 気に入ってます。
山の高原の花 さわやかに。
●十傳より→老いに吸われし十五のこころ。
和歌 測字 解題
無情の風 × → 無常の風 ◎
以前に、この歌を思い出したのでした。
今年も中山競馬場だぜ!という歌か。
その時の中山の結果、本命でなく…大荒れ! そういう時に限って賭けてないし。
無常の無情に成り果てたのでしたザンス。シェ〜!
この歌を思い出した時はチャンス??
●十傳より→チャンスですね。
十五の頃に今の自分の年齢になるなんて想像もできませんでした。
自分の死に顔が思い浮かぶ歳になりました。
子供の頃死を考えると恐ろしくて眠れないものでした。
いまでは死は誰にも平等に訪れる安らぎなのではないかと思うのです。
●十傳より→神経も老いていますから、もう痛くなく死ねるかも。
石川啄木の
不来方(確か盛岡の異称でしたよね)の
お城の草に寝転びて、空に吸われし十五の心。
の歌を小野十傳先生のユーモアに変換ですね。
●十傳より→維新後30年間の間、お城は立ち入り禁止でして、この禁止が解除された翌年だったかにうたった歌とか。
人は生きたように死を迎えるといいますが
様々な人の死を見てきて「本当だな」つくづく思うのでした
「汚い」生き方をしてきた人は汚い最後を迎え
「アイツは畳の上で死ねない」と言われていた人は酷い亡くなり方をしています
誰しもが自分の最後を一度は考えた事があるのかもしれません
聡明な先生でも頭を過ることがあるかと思います
人生を振り返り、意に反して人を傷付けてしまった事
「何であんな事を」と後悔することが多々あるかもしれません
ただ、先生はそれ以上に多くの「徳」を積まれてきたはず
「徳」ほど自身を守る強い鎧は他にないのではないかと思っています
私は …… 自分の事は分からないもので
神のみぞ知るなのでしょう
●十傳より→罪を背負わないお方はいないのでありましょー。
石川啄木の歌は、そんな時期に詠んだんですか。
学校をおサボりして詠んだとばかり思ってました。ありがとうございます。
●十傳より→おサボリしてといわれてますけどね。当時は、まだ城跡は草ぼうぼうだったと思われますです。