2013
10.23
10.23
郷里に戻ったときの日課でありまして、湖の朝の散歩でございます。
まったく暖かくはありませんが、寒いと言えは寒く、寒くないと申せばさほど寒くはないのでありました。
が、手袋ははめるのであります。
地元の方は手袋には、まだ早いのでありましょうが、私メにとっての10月のモリオカに手袋は必需品であります。
で、ぐるりと湖畔を巡り、納屋の整理をしようと思い立ったのであります。
2011年の震災で、モリオカも大地震。
納屋は、そのときのまま放っておいているのであります。
さて、崩れた奥の箱を直そうと致しましたら、どうにも重いのであります。
ややっ!
かようなものが入った袋が出てまいりました。
袋は年月にすっかり傷んでおり、メサメサと破れるのであります。
二銭銅貨から天保通宝まで。
小判も大判も出ては来ないのでございました。
あるはずだ!
きっとある!
んだって、金運の方位だったんだおん!
と奥の箱に手を伸ばしました。
ブスッと屁が出ました。
ブス→ブツ→仏→弗ではありませぬか。
予兆なのでございます。
ちがう、ちがう、小判だてば! 大判だてば!
が、本日はついに見つけることは叶いませんでありました。
明日も宝探しに挑戦するつもりでございます。
重たい物を必死に持ったので、腰がしくしく傷みますです。
ところで、破れた袋に、古銭に混じって古い鍵が入っておりました。
これこそオノ家財宝の箱をひらく合鍵ではないかと、いまジッと見ているのであります。
もはや誰も信用できませぬ。
今宵は、門もがっちりとロックをし、老母にも早く寝ろと言い渡し、明日といわず、これから蝋燭の明かりの中で大判小判探しをしようかとも、目を金色にすぼめているのであります。
先生、こんばんは。
ちょっとお聞きしたいのですけど、先生が「気」のプレゼントをしてくださった時に 封筒に入れておいた三千円を
家計の厳しい時に福本銭の購入のためにつかわせていただく、というのは いかがでしょうか。よろしくありませんでしょうか。
それとですね、去年ペットが急逝してしまったのですが、その子が生きていた時にケージの上にお守りとして福本銭を置いていたのですね。今もそのままずっと遺骨と写真のそばに置いているのですけど、この福本銭、神社に奉納した方が良いのでしょうか。
(ケージの上ではなく、もっと身体の近いところに置いてあげれば効果が違ったかもしれないなあ、と 後で後悔しました)
●十傳より→気のプレゼントのお金で福本銭、ぜんぜん問題ありません。ペットは死んだら、なるべく忘れてあげるのが良いとか。なので福本銭は、そろそろ奉納の時期かもですよ。
先生、ありがとうございます。今日は甲子日ということでしたので、その子の福本銭を神社へ奉納して参りました。
日付が変わってから気づいたのですけど、
そのペットちゃんの命日は今日なのですね。偶然、奉納する日と重なった、ということに気付き、不思議な思いでいっぱいでした。
でも、雨が降っていました。
雨の日の福本銭の奉納は、問題ありませんでしょうか。
参拝のみに関しては雨降らぬ日を選びますけど…。
●十傳より→天候は関係しませんです。それにしても、色々と偶然の重なる日に奉納ということは、奉納に最適日なのだと思いますです。
ワクワクします。
宝探しは幾つになっても楽しいですね。
真夜中に蝋燭の灯りだけの薄暗い納屋の中から
エヘラ、エヘラ
という先生の笑声と共に
カシャカシャと大判小判を数える音が。
先生は気付かなかった。
その様子を、寒さのためか恐怖のためか
パジャマ姿のまま震える躰で見ていた者がいた事を。
なんていうシ-ンを想像してしまいました。
●十傳より→まだ大判小判は発見ししてませんですが、老母と亡父の恋愛中のアルバムとか、オノ家の家系図とか、四代前の爺さんの川柳などが出てきていますです。ココ掘れワンワンの、悪いジジになったような気分であります。