2014
02.11

十傳スクールの第一期生の講義も14回目を終えることができました。

断易にはいくつかの原則があり、たとえば接続の相生などがソレであります。
接続の相生とは、自分にとって害するモノが動くことはいけないけれど、同時に、自分にプラスになるモノも動くときは、かえって吉になるという原則であります。
つまり敵と味方が同時に動けば、敵も味方になるという理でございますです。
ただ敵はやはり敵でありますから、心情的には自分に悪い感情を抱いていることにはかわりませぬ。
ただ、現実的な動きとしては、「今はそういう敵対感情に目をつぶり、利のために協力してやろう」というものなのであります。

さて、自分が動くのは良くないというのも、断易の原則のひとつであります。
自分が動くのは「気を漏らす」ことなのであります。

これを生き方に照らすと、オリンピックの応援とか、選挙の投票も自分が動くことに通じるのでありましょう。
積極的な行動こそ大事だという一般常識とは逆行するものかもしれませぬ。

が、自分が動くことは冷静さを欠くことにもつながりますです。
相手に動かせ、自分はその動きに対処することを断易は提唱しているのかもしれませぬ。

「いやいや、自分の考えを相手に伝えることが正しい」
と力説したくなりますですが、これまでの過去を振り返れば、「なるほど」とうなずけないこともありません。
自分とはかかわりのないことには、すべて背を向けてみるのも悪くないかもです。
すくなくても関係ないことに、心を動かすことをやめるのはいかがでしょう。

他人からの中傷に対して心を閉じ、すべきことだけに心を向けることは、最初は難しいことかもしれませぬが、生活のリズムを断易にするのは無駄ではありませぬ。

  1. 他人からの中傷…にドキッとしました。中傷ではないのですが…一種の「否定」に近い、かな…
    すべきことだけに心を向けて…確かに難しいですけど、とりあえずオリンピックバンザイのチャンネルは避けようと思いました。

    ●十傳より→敗退選手どもに「生きて帰って来るな!」と叫ぶとスッキリいたしますです。

  2. 色んな占い師の方に見てもらいましたが、当たったのは小野先生だけです。友達にも教えたくないくらいの的中率。

    遁甲を知るキッカケになった占い師の方も、生活リズムを遁甲や易に合わせろ、他人と仲良くするには先ず、生年月日を入手してからにしなさい。とか言われたことを思い出しました。。。その人は、貴方は憑かれやすいから色んな男性と寝て除霊するべきです!と。しまいには、貴方の家が稲荷信仰なので色んな男を寄せ付ける。寄ってきた男性と一回寝ると金運が上がります。しかし2回は寝てはいけません。とかなんとか。
    自分で書きながら面白くなってきました。えへへ

    断易をお勉強したいので、今年中に入門講座をお願いしますにゃん。

    ●十傳より→面白そうな易者体験のお話をありがとうございますです。断易希望者が複数いれば開講を考えますです。

  3. ここ1~2カ月、仕事で啓蒙書や素人向けの心理学の本などを何冊も読んでいました。
    「自分を好きになれ」
    「やりたいことだけをやれ」
    「何が与えられたかではなく、与えられたものをどう使うかが問題だ」etc……

    結局ベースには運命学(?)があって、それをいろんな人があれこれアレンジしてるだけなんじゃ……?
    と思いました(笑)

    またこういうお話、楽しみにしております!

    ●十傳より→たとえば仕事で、経費を節約するのがいいのか、投資額を増やすのがいいのか、派手な宣伝が良いのか、地道に稼ぐのがいいのか、有力者に支援されるのがいいのかなどなど色々であります。それらから、こういう時にはコレを、と方法をピックアップすることが本来の運命学のアプローチであり、啓蒙書のような精神論を重視していては結局は何にもならないのであります。奇門遁甲講座は、こういうことにも斬り込んでいく所存となり、受講者はみな大金持ちになるはずでございますです。

  4. 啓蒙書とかスピとか、マッサージみたいなものだなと思っています。
    小一時間は気持ちいいけど、それだけ……っていう。

    先生のお返事を読み、運命学ってそういうことだったんだ!とわかりました。
    そして、断易、四柱推命、奇門遁甲と勉強が進んできた意味を今さら思い、
    ちょっと鳥肌です。

    十傳スクール、すごいー!!!

    ●十傳より→自分という心身に何があるのか。他者との相違点は何なのだ、自分のパワーはいつどこでどういうように発散すべきか、それとも抑えるべきか。運命学は他人の運勢を研究しつつ、最終的には自分という本番を開花させるための、非常識であり非科学的な方法なのかもしれませぬ。が、その「非」の本質にじつは美味しいものがあるようにも思えますです。心理学といいますが、たかだか150年程度の歴史があるばかりで、心理カウンセラーはカッコいい名前ですが、よるべき理論もなく、それぞれが独自という名の適当な治療方法を行うだけであります。私メも四年間心理学を本気で学びましたけれど、結局は講師たちの「出版社を紹介して」という切実な叫びだけでございましたです。心理学も啓蒙書もあと千年の歴史が必要かと思いますです。