2014
12.02

また始まったよーでありますですね。

日本人のバカげたお祭り騒ぎが。

高倉健とか菅原文太などの役者が死に、その死に対して「男らしい人だつた」とか「義理堅い人だった」などの言葉を手向けられていますけれど、じっさいに彼らを知っていたのは身内の数人で、それら身内の方々は「そうでもなかったんですけど」などと思っていないとも限りませぬ。

運命学を会得するには、それらを明確にする必要がございますです。
自分にとって関係あるかどーかであります。

高倉健らが死んだとて自分に関わりなければ、いっさい立ち入らぬことが正しいのであります。いまさら追悼の写真集を買い求めるお方がおりますが、これではいつまでたっても幸運を得ることは無理でありましょう。
「ざまぁみろ!」
と他人の死を誹謗して、憂さを晴らすことも同様であります。

テレビや新聞や雑誌は、そういう出来事があれば、ニュースソースとして絶好なので、喜んで飛びつきますですが、それに煽られてはなりませぬ。

つまりテレビも新聞も雑誌も自分とはまるっきり関係のないもの。
そういうことにお金を支払うことは、お金を捨てることと同じなのであります。

「建さん死んだね」
「そうですか」
「文さんも」
「へえ、そうですか」
という対応がよろしいかと思いますです。

  1. それでも、健さんが亡くなったのは悲しい。。。
    たとえ ホモだったとしても

    ●十傳より→ホモだったから悲しいとか…。

  2. 亡くなった途端に騒ぐのもまた悲しいものですね。
    虚を感じます。
    ところで長野も初雪でした。
    空は曇りで息が出来ないほど重苦しく素敵な日でした。
    せんせいもきっとあの晴れた空よりは
    こちらのほうが好きかもしれないなーと思ったのでした。

    ●十傳より→私メにとっての「良い天気」は、雲が低く垂れこめ、いまにも背後から小雪が降り出しそうな淋しげな天候なのであります。