2016
02.25
キッチンの隅に切り花を移した瞬間に、脳みその奥をつつくものがございました。
断易を講義して四年目。
その技術をお伝えしてまいりましたが、何かが足りないよーな気がしてなりませんでした。
足りないのではなく、芯が抜けているよーな。
たとえば、それはお女性に愛を囁く時に、言葉だけで魂がごっそりと抜け落ちているよーな。
奇門遁甲や四柱推命にはあって、断易に欠けているもの。
それは「止観」ではないかと。
何のために断易を使うのか。
その根本の心の基準でございます。
当てれば十分ではないかと言われれば、それはそれでイイのでございますが、しかし、難解の卦を前にした時、「この卦は違うのではないか」という迷いが生じますです。
また、同じ事象を複数人が占った時に、断易は各人で異なる卦を出すでありましょう。「変ではないか」と迷宮に入り込み、「自分は断易に向いていない。そもそも断易などというものはマヤカシではないか」と断易を捨ててしまう結果になるでありましょう。
いまだ「断易止観」ということを検討し、ひとつの見解として提示した書物はございませぬ。
菊池流断易を踏襲しつつ、諸口流をも取り入れ、さらにまったく新しい方法を見つけてはおりますけれど、しかし、やはり方法論に過ぎませぬ。
キッチンのお花に目をとめたまま、私メはしばらく脳みその声を聞いておりました。
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2016
02.23
陰鬱な郷里の空。
なんと心落ち着くことでありましょうか。
ちと、アタフタしすぎた日々でありましたから、私メの心に沁みるナゴミの曇天であります。
仕事も持ってきませんでしたので、今後の方向性をぼんやりと考えるにも適しておるのでございます。
4月から開講する講座も、いままでのものを踏襲しつつ、坐りなおして新たしいモノをすこし取り込まねば、自分としては退屈。
かといって、いままでの受講生の気持ちにも配慮しなくてはなりませぬ。
郷里はまだ肌寒いながら、むずむずさせる温もりも混じってございます。早春=回春ということなのでありましょうか。
湖の氷の冷たさを風が運んでまいります。
分厚い外套に身をくるんだお女性…50歳過ぎあたりでありましょうか。
すれ違い、振り向くと、お女性も振り向いて、かるく会釈をしております。
モリオカは、見知らぬ者同士、こうする習性がございます。
けれど、「どこかで見たぞ」と記憶のページをめくるのでありました。
みんな時間のなかで生まれ、成長し、そして老いていくのでありましょう。愛らしきものを囁いた者同志も、いつしか時代の片隅の存在になっておるのであります。
「時間は、あんまりないよーだ」
と、仕事と濁情の両立がいつまでつづくのかを感じるのでございました。
「ボヤボヤしていられない」と。
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2016
02.22
東京からモリオカは凶方位でありましたから、なるべく外に出ないようにしたかったのであります。
今回は老母の確定申告書の作成でありました。
それが午前中のうちに終わりまして、「うどん食わねっか。お金払うから」と言われましたので、仕方なく車で、仙北町の北田屋へ。
画像では、まずそうですが、案外、イケるのでありました。
それから県境の温泉までドライブしたのは、けっして凶方位を忘れたためではございませぬ。
事故を起すかもしれない…という意識は絶えずありました。
なので、いつもより神経を使いヘトヘト。
後ろの車に数台追い抜かされましたが、ここは安全運転であろう、なんて神妙な心持ち。
あるカーブを抜けたときでございました。
なんと、検問というかネズミ取りをやっていてのであります、岩手県警は。
そして、私メを軽快に追い抜いていったツートンのホンダの軽がつかまり、窓からネエちゃんが吼えておりました。
だけでなく秋田ナンバーのクラウンも。
おお、コレであったのか、凶方位の暗示とは…!
温泉に着き、いつもにも増して気分爽快。
股間もなぜか平常時なのに重たげでありました。
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