2019
06.14

TVも、ですが、ネットを見ても、得体の知れない怒りが噴き出て、感情を乱しますので、過去のアルバムをば懐かしむことにいたしました。

と、ごらんの写真が現れたのでありました。
1993年の冬の、そう、佐世保の居酒屋なのであります。

前年の31日に羽田をたち、1週間ほど長崎でのイベントに参加し、その中日あたりでありましょうか、
「飲みに行こうか」
希望者を引きつれ、見知らぬ町の、見知らぬ居酒屋に入ったのでございました。

私メも40代そこそこ。
お女性たちは、美人占い師ということであります。

彼女たちは、みな、どーなされているのか。
老美人となっておられれば幸いでございますです。

やがて彼女たちのバトルが始まるまで、あと14時間あたりではなかろうかと思い出しましたです。

「女性が結婚するための200の選択」
の原稿をホテルで書き、昼間は昼間でハウステンボスまで松浦鉄道だったかの電車で出勤してはイベントの監督。

激しく体力のあった頃でありまして、深夜に長崎の稲佐山に登ったり、ほとんど睡眠をとらなくても大丈夫でしたが、お女性のバトルの間にはさまってヘトヘトになったものでありました。

「楽しかったなぁ」
思い出につかのま浸ったのでございます。

2019
06.12

料理はエロの如くであります。

この数カ月、料理のメニューを揃えており、たとえば銀行の待合で眺めた料理雑誌の内容を、忘れぬうちに、取り急ぎ帰宅し、挑戦しているのでございます。

2020年から都内のレストランでは全面禁煙とかであり、
「んだば、はぁ、自分で作るしかねな」
動機はソレでございました。

味と食感と見かけ。

エロ力が低下して、それが料理に転嫁しているのかもしれませぬ。

丁寧に、相手の素材と対話しつつ、最高の味を引き出す。
自分の得意技を押し通すのだけでなく、常に発見し、腕を磨いていくという工程は、エロそのものではありませぬか。
エロだけでなく、占いにも通じるものでもございます。
つまり、甘美な想像力と突きまわす感動が必要なのでありましょーか。

レストランの若造にできて、自分に出来ないワケがない。
この意地もございますです。

自分に課すものとして、エロでバイアグラを使用しないのと同じく、占いでダマしのテクを用いないのと同じく、料理では味の素みたいなヤツは一切使わない。この掟を守ることでございますです。

さぁ、明日は誰を…いやいや、何の料理を作ろうか。
この趣味にちと魅せられましたです。

2019
06.11

講義をしていて、とても面倒になることがございます。

差別と言われる用語であります。

占いの講義は差別なくしては語れませんです。
「死期に死にきれなかった者は盲目になったりする。盲目は人間の病の中でもっとも重い」
などの言葉がとても多く、「従財格が破格した時は、世田谷の豪邸をすべてなくし、一家五人が足立区に住むようになる」とかも、何となく言いにくい表現であります。

が、差別と言われ用語を使用した方が、具体的にキチンと理解できるのでございますです。

私メが占いを学んでいた時代は、そのよーなことは気にせず師匠の口から発せられておりました。

「いまは、そういう世情ではなくなっている」
「昔の価値観では通用しない新しい時代なわけよ」
とか言われ、いかにもそのよーにも思えますです。

が、価値観とかモラルは時代によって変化するものでして、もしかすると差別用語に対して神経質だという事は、どこかで、差別されている人々を使ってお金儲けをたくらんでいる権力者がいるのかもしれませんです。

たとえば、
パラリンピック…ふーむ、これは儲かるでありましょう。

弁護士などにとっても差別問題が浮上することは、儲けにつながるはずであります。

聖書曰く、「今の効果しか持たぬ法律を信じるべからず。大衆の都合に合わせた善悪と倫理を捨てよ。外見の差別、外見だけ飾り立てた美や威厳を信じてはならぬ」と。

占いは長い時間をかけて時代を通し、積み上げられた人間の本質の研究でありますです。
令和の時代に入ってから、輪をかけたように見せかけの美や優しさを称賛されている気がしないでもありませぬ。

占いを研究するには、参考になる時代とも申せましょう。

いらだちを感じてしまう美徳には、かならず裏で腹を抱えて笑う者が存在することを忘れてはなりませぬ。

窓を閉じ、鍵をかけ、自分だけの価値観を、ここで再点検をする必要があるよーであります。そのために占いの根底にある考え方はとても役立ちますです。