2024
05.15

立体パーキングの階段にでましたら、お女性のしくしく泣き声がいたしまして足を止めました。

鉄階段の下の踊り場で、女の子がしゃがんでおります。
おそらく仕事で注意を受け、それとも同僚との悪口に耐えかねてか、それでここまできて悲嘆に暮れているご様子。

泣いているお女性に声をかけてはならない。

語られざる、これが男の鉄則。
私メもまだ男のはしくれでありますれば。

「辞めるなよ」
心で語りかけて、別のドアからエレベータで階下に降りたのでありました。

職場はどこも地獄を体験するのでしょー。
給料を得るために毎朝、混みあう電車に乗り、おべんちゃらを言ってお客に対応し、ぶん殴りたくなるほどのくだらない上司の命令にしたがったりして、大切な予定があっても残業を優先させる日々。
これが自分の人生で、それが永遠に続くのかとおもうと、病気になってもおかしくはなく、時間だけが失われ、妥協した恋愛に満足しなければならないのかと、そういう絶望的な感情に、どっと襲われ、
「わたしは何をしているのだろうか」
踊り場にしゃがみこんでいるわが身が情けなくなるのでしょーか。

それでも辞めてたら、その日からこんどは別の苦労か待っているのであります。

せめて宝くじに当たれば…。しかしスカばかり。
運命にも見捨てられたかと。
親の誕生日にはプレゼントをしたり、すこしだけれど募金もしたり、神社で参拝もしているのに、ひとつとして報われない自分。

けれども、だとしても運は自分を見捨てることはありませんです。
大運に切り替わると、予期となかった別の角度から光が射しこむことは事実であります。

そのためには「耐え忍ぶ」という、古くから言われている手垢にまみれた言葉が必要かもしれません。

世界は自分だけのものであります。
自分が死ねば、世界も同時に消滅するのでありますから。
この世の主人公は自分。
あとのすべてはマボロシ。

ダメな時は、そこを動くな。
これに尽きますです。

  1. 先生のブログを読み

    暗闇のむこうに
    光が見えたような気がします

    ●十傳より→それは良かったであります。

  2. これと同じ写真、内容をずっと前に見たと思い、思わず日付を確かめてしまいました。
    なんでだろう、、、

      ●十傳より→未来の暗示でしょーか。ブログUP件数は、この回で4004回であります。