2023
12.19

ふと、「どーなっているんだろう、あそこは?」と好奇心に刺激され、今年の2月まで通っていたジムをたずねたのでした。

ご覧のとおりです。

かつて老人たちで賑わったジムは廃園と化し、枯葉が吹き溜まりをつくっておるばかり。
それら老人たちの幾人かは、この夏の熱暑のために亡くなったのであります。

過ぎ去った夏の恋を懐かしんでいるよーにも思えます。
ちょっとした言葉のやり取りが恋を亡ぼすことはよくあること。
ジムでの想い出は、形を変え、「なぜ、あんなことを言ったのか」と忸怩たる気持ちにさせるのであります。

が、「傷つけた」というのは、すこし思い上がっているのではないかと。
これもよく耳にする言葉でございます。
「傷ついた」「傷つけた」「傷つけられた」

もしも、相手が何か強い誇りをもって生活しているのなら、傷ついたりはしまい。
ただ「腹が立った」。それだけだろう。
すでに関係が限界すれすれのところまで来ていて、ちょっとした一言で決壊した。それだけだろう。

そして、廃園を振り返りますと、死んだ老人たちの面影が、汚れた窓々からのぞいているのでありました。
一人一人の年寄りたちは、それぞれの人生を経て、斃れていったのであります。

いずれは私メも。
いずれは、この世の全員も。

自分の年齢は、もう反省する齢でもないし、傷つく齢でもない。
そういうことは終わってしまった齢。終わったと自覚せねばならぬ齢。

私メは、いま郷里のモリオカの、屋敷に一人居て、冬枯れの庭を、暗がりに目をすぼめて眺めているのであります。
ここもまた廃園でございます。