12.24
期待していた店のお味が落ちていることに気づくことは、いくつかの悲しみの中の一つであります。
「ありゃ、味がおじだな」
とこがどーだというのではありません。
コミンとしないのであります。
コクを失ったとでもいうのでしょーか。
「やっばり。待った甲斐がねがったな、これだば」
と老母。
その店は客が来てから蕎麦を切るので、注文してから小一時間は待たねばなりません。
私メは板わさ、1.8倍盛り。1300円を頼んだのでありました。
「鑑定なども手抜きは許されないのだ」
などと不味くなった悲しみを、プラスに受け止めよーとしたのでありまして、そーいうことは、たぶんモリオカに来てはじめて気持ちが安定していたと気づかされるのでありました。
突如として顔面が蒼白になった叔父の容態は知りません。
葬式となったら私メは付け法事で坊主の隣に座られられることになるのでありましょー。
それは楽しい未来なのであります。
蕎麦湯で腹を満たし、そのあとは、いにしえの残るモリオカの各所をまわりましたです。
郷里から懐かしい通りが失われ、あるべきはずの建物がなくなっていることを目にするのは、憤りにも似た悲しみでございます。
時代なのだ、どうしよーもない時の流れなのだと理解はしても、感情が言いようのない悔しさに塞がれるのでございます。
「帰ってニーノ・ロータでも聴くべか」
他人の作ったものを他人が取り壊し、それで勝手に悲しくなり、他人の作曲した曲で慰められよーとしている自分がバカバカしくもありました。
蕎麦が不味くなったからといって、それだとて他人が作った蕎麦でございます。
悲しみというのは、受け止め側の問題なのかもしれませんです。いや、喜びというモノのほとんども自分をとりまく周囲の受け入れ状態なのかもしれませんです。
ほんとうの悲しみや喜びは、じつに数えるほどしかないのかもしれません。
視覚、聴覚、嗅覚などを身を守る消極として使用しているうちは幸せで、これらを反対に積極として用いる癖が出来ると不幸を覚えるのではなかろーかと、
「オラはここでまってるがら」
パーキングに停めたクルマに戻るのでありました。
豚肉とセリとサニーレタスがトランクにございます。
悲しみをぶっ飛ばす食材としてはやや足りないよーにも思えますです。
おネギのとなりの赤いのは何でございましょーか。
●十傳より→権八辛子であります。
手打ち蕎麦に蕎麦湯、いいですねえ。
シンプルな料理だからこそ、味に誤魔化しが利かないし、味が変われば即結果がわかりますね。
仕事で信州や東北でいった際に食した蕎麦もおいしかった。
住む場所が変わって行けなくなりましたが、また、機会があれば行ってみたいですね。
無論、その時は奇門遁甲を利用してですが。
●十傳より→どーやら打ち手が変わったよーであります。
ひとつご質問がございます。
蕎麦関係で、以前にブログに掲載されていた開運カードに蕎麦を食べるべしと書かれていましたが、開運フードの王道なのでしょうか。
また、インスタントの蕎麦や市販の蕎麦でも良いのでしょうか。
●十傳より→王道かと言われれば、そこまででもありませんけど、2021年には効果的でありましょー。カップ麺も含めて。
不味くすればお客さんが少なくなる、密にならない、店主のコロナ対策ではないのでしょうか?
●十傳より→鼻水が出ました。
失うって悲しいですよね。
●十傳より→寂しいのかもしれませんです。
時の流れの中で、思いでの景色が一つ一つ 消えていくのは悲しいものですね
あの震災で故郷の古いお地蔵さんが砕け、バラバラになった姿を目にしたとき
ショックのあまり自分の体の一部が死んでしまったような感を覚えました
不思議なことに、このような感情というものが 犬にもあるように思われる
出来事が数年前にありました
仕事がお休みで時間に余裕のある時には
実家のワンコを歩いて3分程の所にある原っぱへ連れて行って遊ばせていました
その日もワンコが「さんぽ ♡ さんぽ ♡ 」とニコニコしながら
リ-ドを持つ私を引っ張るように小走りで原っぱへと向かったのです
「思いっきり走るぞ、隠れんぼもしちゃおうかな ♡ 」
期待に胸を膨らませ嬉しそうなワンコ
ところが、到着した途端、私もワンコも愕然と立ちすくんでしまいました
ついこの間まで広がっていた緑色の草木に代わり
無機質の黒い太陽光パネルがズラ-と並んでいたのでした
広い原っぱが無残な姿に
それ以来、どんなに行こうとリ-ドを引っ張っても断固拒否
ワンコにとってみたら天地がひっくり返るほどショックだったのかもしれませんね
●十傳より→いちじ流行りましたですね、太陽光パネル。いまはコロナ。
若い頃の身を振るわせて感じた悲しみも喜びも齢を重ねるごとに薄れて本当に自分が感じたのかもぼやけていくものですね。最後に残るのは何なのでしょうか?
●十傳より→愛ではなく、灰でしょーか。
しばらくその他にいると、不味い店はよく見つけられますが、去り際に美味い店が見つかります。
美味い店を見つけると決まって何か転機が起こります。
他人が絶賛する店ほど不味いですので、自分の味覚に合った美味い店を探し回ります。美味い店は潰れません。絶賛してる店ほど無くなります。
講義で習った、良い運は邪魔されるとか、求めてると来ないとか、真実は十人十色とか…が、当てはまるなあーと思います。特にコロナ渦で色濃く目立ってきたと思います。
と、共に、抑えつけてきた破壊衝動もムクムクと…
先日、罪悪感なくフラフラしてる中華が客で来た時、マスクもせず大声だったので、思わず文句と侮辱してしまいました。かわいそうな僕です。
●十傳より→徹底して憎むことが、予防につながるのであります。
日本がアメリカのファイザー製薬からから大量のコロナ対策の薬を購入するそうですが、武器の購入と同じ。日本の技術でも同じかそれ以上の薬は開発できるはず。利権のにおいがします。
●十傳より→においでなく、そのものズバリでありましょー。
クロワッサン一月号買いました。辛酸なめ子さんとオノ先生載っていました。
小野十傳さんのファンじゃない人は買ってください。
●十傳より→見つけられましたですね。