2013
05.01

震災以来の、国際交流でありました。
放射線騒ぎの時も、本国にかえらずに頑張っていたイタリア人と、とにかく日本人が大嫌いな日本人の総勢5人が集まったのでありました。

そのイタ公は、日本人がなぜイタリアに憧れるのか理解できないという話から、ヒートアップしたのでありました。

ワインのデースティングという、こ恥ずかしい役割を私メがすることになり、どーせOKせざるを得ないわけでありますから、「ふーむ、ちょうど、こういうヤツをもみたいと思っていたところだ」と言いましたところ、
「トデンのそういうところ、イタリア人みたいでキライ」
と襲来されましたのでありますです。

「サムライのようにした方がイイ」
とアドバスされ、
「では、これで異存はござらぬ」
と店のヤツにサインをしたのでございますです。

日本人は日本人で、「なんで国際的に認められるために尻尾をふるんだろうか」
これは富士山の世界遺産登録やオリンピック誘致を指しているのでございましょう。

そうやっているうちに3時間も過ぎてしまい、それはそれでけっこう楽しいのでありました。
「それがしは、そろそろ帰宅の刻限でありますゆえ」
と腰をあげるのでありました。

自分の国や、環境に対して嫌悪感を抱いている人たちは、少なくありませぬ。
それはむしろ当たり前なのかもわかりません。

好きだから嫌いだというポーズを取っている場合もござしましょう。
私メにしても、モリオカから、すべの市民を追い出したい気分になることがありますから、嫌悪の情は、恋慕の情とほとんど紙一重。
気持ちの底には複雑にジェラシーが絡んでいるようでありますですね。

終電の中で、軽く軍歌などを唸ってみるのでありました。
が、デンマークにいっているでっちりおチビさんを思い出し、深くため息をつくのでございました。

では校歌か。
いやいや、それは悲しすぎますです。

自分歌を作ってみても面白いかもしれませんです。
「私はスケベな男です~♪」などと。
まだワインの酔いがのこっているのかも、でございますです。

  1. 浮き草のようにふわふわと生きている私としては、眩しいくらいに羨ましい。
    郷土愛などどこへ置き忘れたのか、ここ数年は「帰りたいなぁ」と思うこともありません。
    心はいつも「行ったコトのない所へ行きたい」とばかり思い、結局行かずにナニゴトもなくダラダラと時間を過ごしています。

      ●十傳より→それはそれでイイと思うのでありますです。

  2. 日本人、せめて顔だけでも小さくと。サングラスで覆ったところでサルより悲しい。

      ●十傳より→平和が聞いてあきれますですね。滅びてよい民族でありましょう。中国ともどもに。

  3. 日本人は戦後の急速な経済、文化の変化に甘えてしまい、
    その上で、長引いた不況が原因で心を無くしてしまったように思えます。
    日本人の心を無くしたと云うより、
    希望を無くしたから人間としての心を無くしているのではないかと、
    ぼくは感じるのですが、先生はどう思われますか?

      ●十傳より→すべてをお金でしか測れないところがイヤでありますですね。何かと言うと「経済効果」というフレーズが出てまいりまして、コレをすると儲からないのではないか、アレをすると世界から批難されて損をするのではないかとビクビクしているとこがございますです。民主主義がどーいうものか知らず、金銭主義だと勘違いしているように思えるのでありますです。金銭主義なら堂々としていればイイのに、妙に卑屈なサル真似ばかりでありますです。