2012
02.13

藤沢に隠れた名店があるのであります。

「こぐま」。
この素朴な店名だけで、心の傷ついた者たちはつい涙をこぼすかもしれませぬ。

私メが以前、開運料理としてアップした、ミルクヌードルも、もとはといえばここからパクったものであります。

はじめて入ったのは20年前にもなりましょうか。
当時からすこしも変わってはおりませぬ。
発展もしない代わりに衰退もせず、いや、いつもお客は満員なのであります。
普通ならチェーン店を目論んでもおかしくないのに、店主はそのつもりはないようであります。
その姿勢が、味を落とさずにいられる原点なのでありましょう。

隠し撮りで店内を撮影しましたが、ごく普通のB級のラーメン屋の雰囲気であります。

牛乳ラーメンは健在でして、650円は、この店でもっとも値段の高い高級品なのでありました。

店でくつろいでいると、心の深いところからなんとなく幸せな気分がじわじわと這いあがってくるのであります。
藤沢ですから、むろん雪が降っているはずはございません。
しかし、窓の外はしんしんと雪が降り続いているような錯覚を起こさせ、その錯覚から離れさせないところにも、この店の魅力があるのであります。

客は、店主のつくるラーメンを固唾をのんで覗きこむのであります。
すでにラーメンを配られた者たちは無心に麺をすすっておるのでありました。

おお、これですこれです。

待ちにまっていたお女性がブラをはずし、どこまでも柔らかそうな乳房をさらけだした瞬間のホワイトであります。

塩ペースにパックの牛乳を注いで沸騰直前に止めたもの。いくぶん塩味が強いのはバターのおかげでしょう。
その乳房のやや汗ばんだ皮膚からただようものがございます。
「ゆうべ何をたべたの?」
「やだなぁ、ニンニクにおう?」
「いいよ、オレもいま食べるからぜんぜん気にならなくなる」

ああ、幸せだ…というため息が出るのでありました。

私メは、塩味をもっとセーブし、玉ねぎとジャガイモをふんだんに入れますから、元祖牛乳ラーメンとはずいぶん違った味覚になっておりますです。

あっというまに平らげ、高血圧の原因になるのもかまわず、スープの最後の一滴まで飲みほしたのでありました。

やはり、こういうラーメン屋は貴重であります。
函館の煉瓦街のほど近いところにあるラーメン屋もそうでありますが、店主の経験とカンによって出来上がるラーメンほど美味いモノはございません。
たとえ不味くても、ふたたび足を運んでしまうモノなのであります。

が、やはりいささか塩味がきいていましたから、ファミレスのジョナサンに直行いたしまして、餡蜜で〆たというわけであります。

満足満足でありました。

2012
02.12

いろえろと想い出はございますが、鮮烈なものはフラメンコでございましょう。
ユダヤ人地区の奥まったところに、その店はあるのでありました。

店の前にはカスタネット売りの背の曲がったお婆さんがおりまして、なにやら私メに話しかけるのでしたがわかりませぬ。
富士額のくろんぼ通訳のホセさんは「時間外ですから」とついてはきませんでした。
スペインというところは残業すると罰金が科せられるのであります。
働き過ぎるとバカにされるお国なのでありました。

店内は撮影禁止、手拍子もダメ。客はただジッと女たちの踊りを見守るばかり。

やっと隠し撮りいたしたのでありました。

バランバララン、バラランバランとギターが悲鳴のようにかき鳴り、痛切な歌声がはじまるのでありました。踊り子は手拍子とともに立ち上がり、嵐の目のように靴を叩きつけながら虚空をにらんで舞うのでございます。
12拍子がとちゅうで変調し、いつしかふたたびリズムが戻るという奇妙に息が狂ってくる音調なのでありました。

CDでは聞くことのできない激しい暴力のような踊り。
見てはならないひどくエロティックな、誰かを求めたいのに誰もいないというような孤独の悲しみが伝わってくるのでございます。

飲んだこともない不味い酒。ひとくち飲んだだけで悪酔いする得体のしれない真っ赤な液体でございます。
それなのに官能を刺激するのでありました。
ゴクッゴクッと飲むのであります。

激しいのにいつしか眠気にさそわれる不思議な空間でありました。

私メは店からの帰り道を忘れてしまったのでありました。
小路がいくつにも折れ曲がり、ユダヤ人地区のヤバイところに迷い込んだようでありました。
後ろから三人連れの男がついてくるではありませぬか。

殴るか、逃げるか、ひれ伏すか。

原始的な陶酔の余韻がまだ脳内になびいておりまして、ポケットのなかで私メは握り拳を作っておりました。
たとえやられても一人は道連れにしてやるぞ。
喉仏をへしおるために親指の準備をしていたのでございましたのでした。

人間五十年~♪ケテンのうちをくらぶれば~♪夢幻の如くなり~♪なのであります。

なにかあったときのまんがいちを考えて、通帳など全財産を預けた老母の顔が浮かんでは消えるのでありました。
その何かがいま起ころうとしていると覚悟を決め申したのでございますです。

が、神は私メを見捨てなかったようでありました。
ユダヤ人の経営する飲み屋があり、そこに逃げ込んだというわけであります。

酒なら、日ごろから鍛えおりますです。
出された、やはり赤い強いアルコールを一気のみ。計三杯飲んだのでございます。

以前、博多で同じようなことをしたら、店の連中が拍手してくれましたが、ユダヤ人地区でも同様でありました。
最後に腹を切るゼスチャーの大サービスまでしてから、ホテルの名刺を見せたのであります。

店主の親爺は臭い息で、丁寧に帰り道の地図を書いてくれ、それにしたがって、泥酔寸前の私メはなんとか主要の道路に出ることができたのでありました。

お土産のフラメンコの置物を眺めつつ、あの夜のことを思い出しているのであります。

ユダヤ人の文化みたいなものを、軽々しく扱ってはならないと思ったりしておりますです。
趣味でフラメンコをしている日本人がおりますが、これはユダヤ人にとってはバカにされることと等しいのではないかと考えるのであります。

ジャズもしかりであります。

なんでもかんでも興味あるからというノリでチャレンジ精神を正当化するのは正しくないような気がしておるのであります。

そういえば占い師で銀座ジプシーがいたなぁとなつかしく思い出しました。
彼は片足が不自由で、ガッチャンガッチャンと金属の義足をならして歩いていたものであります。

身体に不自由のある彼ならば、あるいは虐げられてきたユダヤ人の魂を理解していたのかもしれませんです。

2012
02.11

辻堂北口再開発ということで毎日、超満員に賑わうシッピングモール、テラスモール湘南の目と鼻の先に、このような占いの館があるのであります。

私メが、この占い館の前を偶然に通りかかってから五年は経過しているでありましょう。
いっこうに変わらず、この場所にたたずんでいるのであります。

はたして営業しているのかどうかも分かりませぬ。

伊勢正という占い師がどういう人物かも知りませんし、知ったところで会うこともないでしょう。しかし、激しく興味をそそられるのであります。

この鑑定所をどういうつもりで設立したのか。料金はいくらなのか。どこで占いを修行したのか。
「開運」という看板のよごれも気にかかるのであります。

伊勢正氏の占いの実力のほどは良く知りませんが、おそらく絶対的に、この鑑定所では生活費を稼げるはずがございません。一日に、いや月に、いや年に一人のお客が来るかどうかも疑いたいところであります。

だのに、少なくても五年はこの占い館が存在しているのであります。

もしかすると、占い館は見せかけであって、なにか別のヤバイ仕事をしているのではないかと思ってしまうのであります。
麻薬とかそういう取引に使われていて、送られてくる麻薬の届け先である住所を得るために、占い館が必要なのだ…とかでございます。
もちろん妄想であります。
本人様に叱られたら素直に謝らなければなりませんです。

けれど、この占いの館に限らず、「こんなんで商売できるのだろうか」という店舗はまだまだいたるところにございますです。
駄菓子屋とか、いつもしまっている焼き鳥屋とか、古いノートだの鉛筆しか売っていない文房具屋とか…。
つい奥を覗いてしまうのであります。

まさかAVの撮影に使われているのではないかと、つい立ち止まり、耳を澄ましたりするのであります。

占いの館に、客を装ってはいってみたい衝動にせっつかれているのであります。