2010
11.06

DSCN6052百人一首 第三十八歌
「忘らるる
  身をば思はず ちかひてし
 人のいのちの
   惜しくもあるかな」

 これは恐ろしい恨みの歌でございます。女の一念の凄まじさを感じさせる「言霊」がこもっております。

「右近さん、ボクはキミが好きなんだ」
とハンサムな貴公子、藤原敦忠に言い寄られ、右近は、
「いけません、そんなことをおっしゃっては…」
「ボクの心は変わらない。変わったら命を差し出してもかまわない」
「ほんとう?」
 などとついには二人は恋に堕ちたのでございます。
 
しかし、敦忠は一度抱いてしまうと、誓いの言葉など忘れ、他の女性とのお遊びに夢中。
待っても待っても、デートのお誘いはないのであります。

右近は後醍醐天皇の后に使われる女官。
一方の敦忠はいまをときめく右大臣の御曹司。
決定的な身分にちがいがあります。

が、右近は彼の誓いの言葉を信じていたのでありますです。

嫌いならキライと言ってくれるだけでいい。歌でも良いから気持ちを伝えて欲しい…。

が、敦忠からはなしのつぶて。

これは、現代にも通じることでございましょう。

そんなとき、女性は極端なことを考えるようでありますですね。

右近の脳裏にも過るモノがありました。
「死ねばいい」
コレであります。

自分を苦しめている敦忠さえ死ねば、自分は楽になれる…と。

その時の歌なのでございます。
「フラれて一人ぼっちのわたしが、どうなろうとかまいません。でも、神様に愛を誓ったあなたも無事で済むわけにはいきませんよ。きっと天罰がくだされるでしょう。そう思うとたまらなく悲しいのです」

やれやれ、男は、こういう女性の感情の起伏に手を焼くのでございますです。

しかし、不思議なことに、冗談で誓ったことが本当になってしまいました。
敦忠は三十八の若さで死んでしまうのです。

一説には藤原道真の祟りとか。
でも、右近の一念も作用していたような気がいたしますね。

さてさて、敦忠の歌も百人一首に選ばれておりますです。
「あひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり」

マジ恋愛をしてしまうと、その苦しさは、片思いで悩んでいたより、ずっと深いなぁ」
てな歌です。

しかし、この歌は右近に対するモノではないのでございますです。

哀れ右近。

恋はマジになると、ほんとうにヤバいものでありますね。

  1. 本当ですね思いは「重い」に通じますですね。
    「俺を殺したら刑務所に入って食っぱぐれないぞ」
    「お前の目は気持ち悪いから俺を見るな」父から言われた言葉です。やっぱり本当に実の父親から嫌われるのは辛いですね。外で褒められても自信が持てません。
     ●十傳より→骨肉のあらそい…。苦しいところでありますね。

  2. ふ~む…。
    女性には二つのタイプがあって、右近のように相手を恨むタイプと、自分を悲観するタイプ。
    後者は、苦しみから解放されて楽になりたい気持ちを、自らの死に求める者。
    客観的に考えて、相手を恨んで死ねばいいと思う気持ちも、悲観して自分が死のうと思う気持ちも、どっちも哀れですね…。
    敦忠は、きっと右近に限らず、女性に対して奔放だったんでしょう。
    そういう意味では、最期は自業自得としか言いようがない気がします。
    が、右近のように、相手を深く恨むような生き方をしたくはないです。
    ●十傳より→愛が脆いものであるから、誓わないと安心できないのでございましょうね。