10.15
私メの仕事は、世間から言わせれば非常識な方法で、相談者の「しやわせ」の追求が究極でございます。
が、「しやわせ」とはいったい何か。
職業上、この点を、あたかも哲学者の如く思考するのでございます。
一般的には、お金の有無だと言われております。
これまでのブログで、「自由」「健康」「お金」というのが私メの自論でございます。
お金と健康と自由が釣り合ってこそ、しやわせを体感するという意味でして、お金をたくさん持っていても、健康に難があれば、それはしやわせとは申せません。
同様に、元気でもお金や健康が脅かされてもダメ。
自由ばかりあってもお金に苦労していては人生を謳歌することは無理というものであります。
運命学には、しやわせの測定として、富・貴・福・寿などが挙げられております。
が、しやわせを堅苦しく考えると、そーなりますが、
「幸せ!」
と歓声を上げる瞬間はいくつもございます。
目指すお女性、あるいは男と恋が叶った瞬間。
いやいや、もっと身近に、仕事を終えた居酒屋で飲む一杯のビール。
焼き鳥の塩っ気をさっぱりさせるピールを喉に流し込んだ瞬間は、極楽でございましょー。
けれど、
「しやわせな人生ですね」
などと言おうものなら、手で追い払われるはずでございます。
本当のしやわせとは程遠い。いや、求めているしやわせではなく、逃避としてのしやわせだからでございましょー。
私メ自身を振り返りますです。
別に易者を目指して易者になったわけではございません。
でも、現在の、誰にも使われず、自分の時間を自由に使えるという生活は、
「しやわせ以外のなにものでもないだろー」
と思っております。
それなのに仕事が山ほどある時などは、
「はやく終えて、しやわせになりたい」
などと勝手なことを願うのでございます。
「はやくウィスキーを飲みたい…!」と。
いずれにせよ、しやわせの種類を考えた時、お金だけではなく、お金があってもなくても、そこに自分がほんとうに望む生き方があるのかもしれませんですよ。
とは申しましても、お金は重要であることに変わりはございませんが。
小野十傳先生・1番不幸なのは、誰からも必要とされないヒトとネガティブシンキングしかないヒトだそうです。
ドチラも十傳先生・並びに十傳先生の周辺の方から1番遠く真逆の存在の方々ですね!
●十傳より→必要とされていない人はいるのでありましょーか。
最近、不穏な事件が多いです。星の影響力でしょうか。
時々こういう時期があります。
占星術をやっていると、運命とか宿命という考え方に傾いていくような気がするのですが、先生は、運命とか宿命はあると思われますか?
●十傳より→さーて、それは分かりませんです。傾向はありますけれど。
「健康・自由・お金」
人が幸せであるには この三つが基本になるのでしょうね
その三つを土台にして、自分の望む幸せを求めて行くものなのでしょう
「自分の幸せは何か」 そう考えた時
愛し合い信頼しあえるパートナ-が存在することでしょうか
贅沢などしなくてもいい
時々一緒に買い物をしたり 食事に行ったりと
最大の夢は、手作りお弁当を持ってピクニックをしてみたい
本当にささやかな夢ですが、それが一番の幸せ
でも、そういう幸せを一度も味わったことがありません
トホホ…
●十傳より→楽しいものですぞ。
勉強内容さえ理解できるようになればしやわせなんです。
でも、知能は変えられない…辛い。
●十傳より→すぐに頭に入るタイプと、あとになってドットで理解するタイプがあるよーであります。
しやわせ。私の場合、仕事でストレス家庭でもストレスで発狂寸前いや発狂しているか。そして、自分に足らないのを求めて、乙奇得使をとりに行くのがしやわせ。あぁここで愚痴を言うのもしやわせ。失礼いたしました。
●十傳より→言ってください、愚痴を。
小野先生、この赤い実は烏瓜ですか?
その隣の花は何という植物ですか?
知らない事を教わることも幸せです。
●十傳より→蔓梅もどき、でございますです。
突き詰めて考えると「自由」「健康」「お金」に行き着きますね。
どれかが欠けていても駄目で、上手い具合にバランス、配合されていれば言うこと無しですね。
まあ、後は自分自身の目的と行動ですね。
と言うこと、断易、四柱推命、奇門遁甲はちょうど良いサプリメントですね。
●十傳より→はい。
結構重要な考えと言いますか、心構えとして、「しやわせ」を他人と比べてはダメと言うことではないでしょうか。
「しやわせ」の形は人それぞれなので。
●十傳より→測定不可能なものは占いでは扱えないのであります。