2012
08.20
08.20
34度という猛暑の今日、八百屋の店先で梨が目にとまりました。
暑さのために気づかないだけで、秋はどうやら、そこまで来ているようであります。
梨をかじると果汁が口から飛び跳ねました。
おもいがけないほどの、みずみずしさでございます。
この水分はもちろん大地からなのでしょうが、なんとも果物の不思議なことか。
それが体内に沁みわたっていくのでございます。
大地の水分が、梨という果実を通して、甘みを帯びて、私メの体内に。
そして翌朝はオシッコとなって出ていってしまうのでございましょう。
無駄ともいえる自然の巡廻を考えたとき、そこに哲学めいた何かがスパークするのでしょうか。
しかし、梨は皮をむかれて、そこに並んでいるだけでありました。
秋の香りを濃密にただよわせながら。
「去年も飲んだね、この梨の味を」
「一年もたっちゃたんだね」
ラブホのソファーに並んで、梨味の缶チューハイを、それぞれのグラスにつぎながら語ったことは、あれは何年前のことでありましたでしょう。
コンビニに偽りの梨のチューハイが並ぶたびに思ったりするのでありました。
四季を経験した男女は、クサビのようなもので結ばれるようであります。
別れても、ふたたび連絡して、関係が戻る傾向が強いのであります。
いけない、別れなければいけない。
決心するのですが、夏の終わりの風に吹かれると妙に恋しくなるのであります。
そうして気づくと、五年が経過していたり…。
梨は、その夏の終わりと、秋のはじまりを結んでくれる恋の味がするのでありました。
そういう関係って疲れるんでしょうね。
先生も、残暑やら何やら何やら何やらで、疲労困憊でしょうけれど。
さて、腐った男女関係の勝敗というのは一般的にどちらに行くんでしょうか。
●十傳より→男女間に勝敗などあるものですか。泥沼の泥仕合。意志力で完全に断ち切るしか手立てはありませぬ。最初のうちは、ストーカー的なゴタゴタはありますでしょうが。
一緒にはなれないからこそ、距離感を保ってつながっていてもいいのでは?
一緒になるのとは又別の、何か底知れない関係というのはとても人生上、
悦ばしいと思いますですが・・・。
どうせどっちに転んでも出会えば別れはくるものですし。 秋ですね。
●十傳より→嫉妬という感情を超越できれば、最高でありましょう。
ジェラシー・・・うふっ。
世の中、男と女だけですもの。
どんな関係であれ嫉妬はアイテムだと考えてます。
やはり、距離感と嫉妬のバランスが大切です。
それにしても、おいしそうですね!
●十傳より→嫉妬を制する者、恋を制す、であります。
家庭をもつとか、恋だ、愛だと果ては不倫だ、いう枠に
はめ込まずにパートナーシップを保っていけたらいいとも思います。
モノづくりをしていますと、結構周りにそういう関係をみまして
ちょっとジェラシーをば・・・。個人にではなく、二人の在り方に。
●十傳より→唯愛論者にはついていけないところがありますですね。
ですね!、爽やかに生きたいですね、
男女間も。暫く距離があっても、
又連絡取れるような…。
●十傳より→そういう理想的な関係はじつに貴重でありますです。
「電話アーティストの甥/電話アーティストの恋人」っていう短編小説を読みました。
32年の間、毎年一度だけ女性の誕生日に電話をしていたという、
亡くなった男女のお話です。
読み終わって、切なくて泣きました。
やはり、恋が恋のままであるには、二人だけの秘密でなければ、と思いました。
先生が「恋は淫靡でなければならない」って言うように。
「白夜行」や、オウムのカップルのような、お互いだけっていう極端な関係でも。
●十傳より→電話だけの関係…下半身がなければ、でありますよね。周囲からの祝福は恋愛にとってイイことなのか、それとも怠惰の始まりなのか。祝福されて秘密を失ったカップルは恋を維持することはできないかもです。
祝福された途端、恋は腐り果てる…って先生言ってましたね。
秘密を失ったカップルは、恋は維持できないと私も思います。
恋とは違う愛情関係にスライドしていくか、破綻するか。
と、言いながらも、私だってわかっているんです。
男も女も、ひとりの人と誠実に関係を築き、その相手を幸せにする…これこそが、
自分、相手、周りの人たち(近親者や友達も)みーんなの幸せの基盤を作る、一番の方法で、一番温かいカタチであると。
そして、それが実は一番難しいことなのだと。
そしてそして、恋のトキメキや切なさとは反比例するものでもあると。
●十傳より→「汝、隣人を愛せ」が、いかに不可能であるかと同じようにでありますですね。