2024
05.12
05.12
流刑地に住まう老母にカーネーションを贈りました。
こんな老いた者の目をなごますために咲いたのではない、と花々は不満に思うかもしれませんが、そこは我慢していただきました。
花は美しくひときわ人目にふれ、多くの人たちを感動させることが幸福の究極であると、十傳スクールの四柱推命の講義で語っております。
根腐れを起こさず、害虫の被害にあわず、ほどよい水分と暖かな日差しと、やわらかな土の栄養を吸って気高く咲くという条件がそろって、はじめて乙日生まれの人はしやわせになるのだと。
しかし、もうひとつ大切な理想があるとすれば、甲木に巻き付き、どの花よりも高い場所で存在を認められることでしょか。
この最後の理想が、はたして流刑地の小部屋に飾られて達成させられるか。
この保証は守られることなく、やがて花びらをおとし散り枯れることになるのでありましょー。
もしも、流刑地の小部屋に悪い「気」があれば、枯れる時期は早く、良い「気」があったとしても、枯れる運命から逃れることはできません。
が、もしもモリオカの無人の実家を飾ったとしたらどーでありましょー。
スマホの見張り番を遠隔操作し、その実家の庭を眺めましたら、躑躅が赤く庭を埋め尽くしておりました。
誰の目にもつかず花々は一面に風に揺らぎながら咲いているのでありました。
「これでイイのだ」
贈ったカーネーションも庭の躑躅も、私メは見ることが出来ないのでございます。