2024
05.06

師匠と呼ばれた畑づくりの老人が亡くなって一年が経ちました。

畑は荒れ放題。
息子がおり、老人を手伝っておりましたが、息子一人になってしまってはどーにもこーにもできないよーであります。

いぜんは、ここはキレイに耕され雑草一本もございませんでした。
インゲンだの茄子だの、かとおもえば一面に長ネギが植えられたりしていました。
ときたま、どこかのオヤジが、野菜の育て方を聞きに来て、それに丁寧に対応している老人の姿が、昨日のことのよーに思い出されますです。

おそらく息子は、この土地を手放すことになるでしょー。
そして、何軒かの分譲住宅が立ち並ぶに違いございません。

茅ヶ崎は、私メにとって仮の土地。
お金で土地を買って固定資産も支払っておりますが、しょせんはよそ者に過ぎません。
この土地でなければならないという愛着は薄いのであります。

が、土着の人にとって代々の土地を手放す無念さは想像してあまりありますです。

いや、荒廃した畑を、こうして写真に収める行為も、とても罪深い気がして、自分を咎めるのでありました。

極端なまでの排他主義で、それをとても美徳として守っている私メにとって、なんとなく他人事ではないよーに思えるのでした。

老人とは焼肉屋でいっしょになり、軽く会釈した二年前の夏の日が、お目にかかった最後でありました。

人はみな死んでいきます。

そして町も変わっていくのです。