2013
10.18
10.18
50年前のオリンピックのために首都高が東京に張り巡らされたのでありました。
美しい江戸の眺めは、その時点で消滅したのでございます。
アイノコキャスターが「オ・モ・テ・ナ・シ」の言葉にのせられ、そこここで、おもてなしと大騒ぎしておりますが、それよりもなんとか、この首都高を撤廃して欲しいのであります。
ドブ川になってしまったお濠を甦らせてほしいのであります。
首都高を地下にもぐらせれば、東京は世界に誇る美しい街になるでありましょう。
松江市は、お濠を暗渠とする計画を取りやめ、美しく整備し、いまでは舟で巡ることができますです。
経済発展、経済発展とお金のためのオリンピック誘致だったのだから、美の回復を望めないことは諦めておりますが、しかし、これでは行ったことはありませんが、そして行くこともないだろう下品な国、中国と同じでございますです。
私メは神田を歩いていたのであります。
神田は第二の故郷のような街なのであります。
足は自然に、事務所のあったビルへと向かいました。
古いしもた屋風の建物が残っているのであります。こういう建物を保存できぬものかと思うのであります。
向かいの古いビルのペントハウスが事務所でございました。
しかし、世代はいつのまにやら新しい世代にバトンタッチされ、新しい奴らの思い描く未来へと塗り替えられるのでありましょう。
世の中に染まれずに急逝した多くの芸術家の気持ちが、風と共に胸に吹き込んできたような錯覚を酔いながら、神田界隈をそぞろ歩くのでございますです。
先生の人生が詰まったビルなのですね。
その土地の想い入れの深いものが無くなるというのは
自分を「名字」や「さん」付けでなく
愛称で呼んでくれる友人知人が周りから一人二人と
居なくなる寂しさに似ているかもしれませんね。
他の人から見たらタダの古い建物ですが
先生がこの神田の地に足を向けなくなった後でも
先生の気持ちを想うと、どうか末長く残しておいてほしいものだと
願ってしまいます。
●十傳より→それと古い町名も愛しいものでございますです。また東京の坂道にも、それぞれに名称が付されていて、つい暗記したくなるのであります。