2015
04.27
04.27
久しぶりに海岸に出てみました。
いつもの年と同じ風がそよぎ、いつもの年と同じ波が白く騒いでいるのございますので、タイムスリップしたような気がいたします。
あれは10年前のことだったのか去年のことだったのかと、時間の遠近感が失われ、未舗装の道を自転車を走らすのみ。
カーブの先にはゴルフ場の看板があったはずだと記憶が蘇れば、じっさいにゴルフ場の看板がございます。
そして、古りゆくものは我が身なりけり…ということなのでございましょうか。
なにひとつ変化はないのでございます。
百年前の方々も同じ海を見て、二百年前の方々も同じ海を見ていたはずでございます。
前を走るアメリカ人のご婦人は、五年前の残像だという気もいたします。
易の卦に、沢風大過という卦がございます。上から見ても下から見ても沢風大過。雷山小過も風沢中孚などもそうでありますが、本卦と倒卦が同じというのは、どこか不気味に感じますです。
ハッと気づくと誰もおらず、真夜中に長い夢から醒めた気持ち、鏡を覗くとそこに見知らぬほど老いた自分の顔がうつっているという静かな恐怖。
いつの間にこんなに年を取ってしまっていたのか、その間の記憶が煙のように失われているというまだ夢をみているような恐ろしさ。
来週の土曜日は断易初等科の後半が始まりますです。もうにどと会えない人たちが幾人いるのかななどと思ったりもいたします。
第一期生のお方の断易の読み方は、おいおいというほどの腕前に上達されて驚たりもいたしておりますですが。
夏の直前の南風は、どこか人恋しくもあり、どこかよそよそしくもあり、GWの後半からの景色とはまたちがう、けなげな少女のたたずまいで私メを包んでくれているのでございました。
舌をのばし、ほっぺたを舐めたら潮味がいたしましたです。
変わって行く寂しさ、変わらぬ悲しさというのがありますね。
打ち寄せる波の音を聞きながら、ヒト気の少ない浜辺を歩く
時の経つのを忘れてしまいそうです。
もう どれくらい海を見ていないでしょう
年齢を重ねる度に、潮風に吹かれる回数も段々と減ってきました。
●十傳より→変わらぬものなどないのですが、変化の時間差というモノをしみじみ感じるのであります。
小野先生! 一期生の断易の授業、まさか今年いっぱいで終了じゃ無いですよね?
自分たちはやっと断易の混沌に片足のつま先を突っ込んだぐらいのモノですので…。
断易の思想が身に染み込むまでせめて、あと3年から5年は授業をやってもらいたいです!
もし終わってしまうのならば…もう一回最初から授業を受け直して、断易の理解を深めて一生の宝にしようと考えております。
●十傳より→これから黄金策でありますから、今年には終わらないはずであります。その先も…でありますか…。各論に入ってまいりますですよ。婚姻占とか商売占とかっつうように。