2024
11.10
昨日の老人たちの反省会は15人もが集い、酒を飲みかわすのでありました。
が、同年配というのに、みな後期高齢者の如しでありました。
ふと、見回すと、周囲は墓標で、その墓に囲まれて、私メひとりがぽつねんと料理をつついている錯覚に見舞われましたです。
目の前の老人たちは、すべてマボロシであり、本当にマボロシ老人もたしかに混じっていそうな気配だったのであります。
初恋のお方も見えておりましたから、
「初恋だった」
と、普通に語ったら周囲はしばし沈黙に包まれ、
チーン…
と仏壇のリンが鳴った気がいたしましたです。
老女もハッとしたよーでした。
「だから」と私メは続けました。「だからベンツには乗らないことにしている」と。
意味不明の沈黙がまた発生。
モリオカの老人はバカに純なのでございます。
「だから中古のベンツにも乗らない」
すると老女は、その意味を逆に解釈したらしく、「こんご出入り禁止ぃ~」などとほざきました。
別に好きで参加しているわけではなく、さりとていやいやでもありませんでしたが、頭合わせに誘われたから来ただけで、そして、「中古のダイハツ」ではなく、精いっぱいの賛辞が「中古のベンツ」だったのであります。70年型フェアレディZとでもいえば良かったのか。
美貌ではあっても、話が合わないお女性であることは、うすうす知っていましたから、「永遠の純愛だな」と愛の告白の幕を引いたのでございます。
そーして底冷えのするモリオカの町をタクシーを求めて一人歩いたのでございます。
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独断的恋愛論 /
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2024
11.09
ふたたび、というか今月は早々とモリオカであります。
20年近くも東京、モリオカ間を往ったり来たり。
お陰て、満夫旅がすっかりご無沙汰になってしまいました。
以前は全国各地の飲み屋で、ボトルに「満夫」と書き、ニセの常連客となったものでした。
しかし、最近は、モリオカにおっても飲み屋にくり出すことはほとんどなく、家飲みに徹しているのであります。
店で、どんなヤツが来て、どんな話をするのか、そして、その対応もすっかり固定化して、新鮮味がございません。また、店で友情や恋情を誕生させることも煩わしいのであります。
しかし、今夜は、八月だったかに開催した中学の同窓会の反省会をすると言うので、いや頭数合わせのためでしょうが無理やり誘われたのでお金を落としにまいります。
さっきまで十傳スクールのリモート講義をしていたので、ややお疲れ気味。
明日も講義があるので早々に退散することになるでありましょー。
嬉しくもあり迷惑でもある複雑な心境でございます。
そろそろ出発の時間となりましたので、ここらへんで。
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十傳の日記 /
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2024
11.08
モリオカに着くや否や、メールが飛び込んでまいりました。
遠い知り合いからのメールです。
しかし、文面をみて、
「死んだか…」
知り合いの息子が、父親のアドレスにある人たちに片っ端から訃報のメールを送っていたのでした。
私メよりも3歳若い、とはいっても60代。早いとは言えぬ死であります。
中古で購入した最初のクルマから保険屋として付き合っていた相手であります。
妙にフレンドリーで、ランチに誘われて寿司などをつまんだものであります。
可愛いことに、イクラを最後までとっておいて大事そうに食う男でありました。
「保険屋かぁ」と軽く見ていたのですが、ある時、「会社を作るんです」と言われた際の、私メの顔は醜く歪んだのであります。
いまでもハッキリと覚えております。
どのように返事をして良いのか言葉につまり、ただならぬ沈黙がございました。
当時、私メは貧乏のどん底でございまして、45万円の中古のクルマも祖母から借りたお金で購入したものであります。
寿司をおごられるのも営業の一環だと軽くみておりました。
占いは齧った程度の知識でございました。
その後、彼の会社は大発展。
不動産業を中心に従業員も60人を超えておるのであります。
たまに電話があり、独特のぺたっとした声で、「おのさんのブログ見てますよ」などと食事に誘われるのでありました。
最後にあったのは4年前ぐらいか。
顔色が悪かったので、頑張り過ぎだよと忠告し、その返事の言葉にのった吐息が「癌の予兆」でありました。
死期の赤い矢が二本ほど暗示っぽく見てとれました。
メールの、文面の名前は、息子のものでした。
「会社名は、今年生まれた息子の名前にしたんですよ」
その声はいまでも耳に残っております。