2024
05.12

5月の第2週の日曜日。
母の日であります。

流刑地に住まう老母にカーネーションを贈りました。

こんな老いた者の目をなごますために咲いたのではない、と花々は不満に思うかもしれませんが、そこは我慢していただきました。

花は美しくひときわ人目にふれ、多くの人たちを感動させることが幸福の究極であると、十傳スクールの四柱推命の講義で語っております。
根腐れを起こさず、害虫の被害にあわず、ほどよい水分と暖かな日差しと、やわらかな土の栄養を吸って気高く咲くという条件がそろって、はじめて乙日生まれの人はしやわせになるのだと。

しかし、もうひとつ大切な理想があるとすれば、甲木に巻き付き、どの花よりも高い場所で存在を認められることでしょか。

この最後の理想が、はたして流刑地の小部屋に飾られて達成させられるか。
この保証は守られることなく、やがて花びらをおとし散り枯れることになるのでありましょー。

もしも、流刑地の小部屋に悪い「気」があれば、枯れる時期は早く、良い「気」があったとしても、枯れる運命から逃れることはできません。

が、もしもモリオカの無人の実家を飾ったとしたらどーでありましょー。

スマホの見張り番を遠隔操作し、その実家の庭を眺めましたら、躑躅が赤く庭を埋め尽くしておりました。
誰の目にもつかず花々は一面に風に揺らぎながら咲いているのでありました。

「これでイイのだ」

贈ったカーネーションも庭の躑躅も、私メは見ることが出来ないのでございます。

2024
05.11

たまに行くジムには、いつも老婆ちゃまがオープンをまっておるのが習わしであります。
それでも若い頃は恋をして、「好き!」とかさけんで男の胸に飛び込んだりしたこともあるでしょう。
じくじくした涙を流し「あたしたち、もうおしまいね」なんて言葉をぶつけたことも。

歌の歌詞とか、映画では、別れてもせいぜい2年か3年という設定。あのひとは今頃、どーしているのかしらという内容になるのであります。

二十歳で別れた男女が80才過ぎに再会し、それでも抱き合うという設定はエグ過ぎるのかもしれませんですね。
薄っハゲで出っ腹のジジイが臭い息で「会いたかった」と言ったって気持ち悪いだけ。
またお女性も茶色く汚れた歯、しなびた乳房と肉の落ちた尻をどーするのでありましょーか。
そしてシミの浮き出た頬を寄せて口づけなどしてイイものでしょか。法律でゆるされるのでしょーか。
灯りを消し、墓穴のような暗がりでなければ。

明治の易聖として高名な高島嘉右衛門の自叙伝を紐解きましょうか。
嘉右衛門は17歳の頃、岩手県の炭鉱に親父と入っていたそーであります。親父が体調を崩し、江戸に帰ってからは、嘉右衛門が大将となって働いたとか。
若かったでしょうから、精力がありあまり、村におりては女郎宿でお女性を買って遊んだはずであります。
事実、岩泉には高島姓が多いのであります。

さて、嘉右衛門が横浜で大成功した晩年に、ふと岩泉の炭鉱に出かけたそうであります。
そこで盛大な接待を受けたと記録されています。
しかし、会いたかった小菊という名のお女性がおりません。
宴がお開きになったあと「小菊はどーした?」と聞いたところ、後ろに座っていた梅毒で鼻の欠けた老女が、
「わたすはさきほどからすっとここにおりましてよ」
しわがれた声で答えたそーであります。

ホラーでございます。

いや、それでも、50年も前に仲の良かったお女性にあってみたいと思うのであります。
ドブ臭い息を嗅ぎあってみたいともおもいのであります。

2024
05.10

廃屋ではありませんが、先ごろ、80歳になる悪口癖の耄碌ジジイが亡くなり、そーしましたら家が急に寂びれたよーらなったので廃屋と呼んでおります。

主が死んで廃屋になると同時に赤い花が満開に咲くという不気味な現象に見舞われたのてあります。
まるで「自由」を謳歌するみたいに。

最近、色々なセクシャルハラスメントが幅をきかせ面倒なことになっておりますね。視線だの言葉だの、メールでも文章の最後に「。」を付けると相手が傷つくとか、バカみたいであります。

人には人を傷つける能力があり、あまり気にしすぎると気が狂ってしまいますです。
私メは、朝の一声があります。
「チョーゼンジン!」と叫んで床を出るのであります。

けっして差別ではございません。いえ、その気持ちはいつもよりはないのであります。
気付けの一声であります。
だから食べ物が美味な時も「チョーセンジン!」と叫ぶのであります。

皆さまも試しに叫んでご覧くださいませ。
限りない自由な風が体内を吹きわたりますから。

青物県では、「あいったぁ!」と意味不明の感嘆句がございます。
楽しい時も嬉しい時も、腹が立つ時も、つまり何かに心が騒いだ時、「あいったぁ!」が出るのであります。
それと同じでしょーか。
そして、「あいったぁー!」より罪深くてスリル満点。
あたらしい呪いの言葉ではないかと。

仏壇に向かって放屁するごとき後ろめたい快楽なのであります。

あまりモラルばかりを気にしているとつまりませんですよ。
傷つくのではなく、傷ついたふりをして賠償金をせしめたいのが本音ではないでしょーか。

そのうちに「誰よりも愛している」と公言するのもハラスメントとして叩かれるかも。

廃屋に自由に咲く花々を眺めつつ、花々が羨ましくなりました。

宝島という悪党夫婦が殺されて良かったですね。
てっきり商店街の人たちがお金を出し合って仕掛け人たちに依頼したのかと思いました。

「そーだそーだ」
と嘘でも同意してくださいよ。
赤い花々のよーに人生が自由に動き出すはずです。

このごろ世間はおかしいですよ。

もちろん私メもおかしいのであります。