2015
11.22

人生などを考えたりした数日間でございました。
夜になるとむやみに煙草をふかし、
「煙草が害だというけれど、どのくらい害なのか人々は調べたのだろうか」とか思ったりもするのでありました。「むしろ体にイイはずなのに」と。

また若い連中と老人が共存できるわけがないとも考えたりするのでありました。

ホモとホモは仲良くできるだろうが、ホモとホモでない者はけっして仲良くはなれないよーに、若者と老人は、それぞれ隔離して生活することが正しいのではないかと思うのでありました。

浮気とか不倫などと眉をひそめられているけれど、結婚した者は他の人を好きになってはいけないのだろうか、また既婚者を好きになることはいけないことなのだろうかとも考えたりするのでありました。
嫉妬という感情が、裏側で発動し、その嫉妬からあらゆるトラブルが生じるために、浮気だの不倫だのを禁じるモラルが完成しているらしいのでありました。

「煙草を吸っている=悪い奴だ」という感情もありますでしょう。「社会的に罰しなければならない」となり、何故なら「空気を汚すから」「健康に悪いから」「臭いから」と口実が設けられるのであります。
しかし根本には「生意気な奴」という差別があるのかもしれませぬ。

松田聖子が「♬煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから♬」とうたっていたではありませぬか。

中学生が煙草を吸っていると、まず先に「ガキが煙草なんて」という感情が逆巻きますが、けっして「健康に悪いからダメだ」なんてことは思いませんでしょう。そこには「小生意気な!」という嫉妬のような怒りしかないわけであります。

既婚者が恋をすると、「あいつばかりイイことをしやがって!」と自分の欲求不満が破裂するわけであります。「わたしは我慢しているのに」と。

そーして、取り返しのつかないほど時がたち、「いろいろな恋をすればよかった」と悔やみつつ死ぬというワケであります。

恋愛でも濁情でもイイのでありますが、それらは自分で体験するしかない人間に残された数少ないひとつであります。腹が減れば、自分で料理しなくてもコンビニで弁当を買えばイイし、スポーツカーやマンションだって、それは他人が作ったものを買ったに過ぎませぬ。

映画で恋愛モノに感動したところで、それは作り物。嘘で固められた虚構なのであります。AVで興奮しても、やはりバーチャル。

全身がざわめくような快楽も、心が痺れる恋も、これだけは自分で体験しなければ分かりませぬ。快楽の波が迫り、それに呑みこまれることがイクということは実際の男女の絡みから生じることであります。

婚姻という一枚の紙きれを提出した瞬間から、男も女も恋愛禁止という烙印が押されるのが、この世なのかもしれませぬ。

などという考えに耽るモリオカの夜なのでありました。

2015
11.21

この数年、私メは夜のモリオカで、あるお女性の消息を尋ねていたのでありました。
「彼女、死んだのよ」
彼女と幼馴染のママ殿がいいました。

店内には、奇妙な偶然か、♬髪の長い女だって? アンタあの娘に惚れてるね♬ という懐かしい曲がカラオケされておりました。

「さいきん、知ったのよ、あだしも」とママ殿。

去年は超えられない命だと四柱推命は語っていましたから、「やっぱりか」と不思議な安堵感がございました。
もう、彼女の行方を追わなくてイイのだと。

病気におかされ、行方知れずになった彼女、10代の頃から知っていたセッちゃんというお女性を、私メはずっと気にしていたのであります。
死んだと聞かされ、双眼鏡を逆さからのぞいた感覚に陥ったのであります。

詳しくは申しませぬが、大運で彼女の用神が破壊され、年運で財運が抑えつけられておりました。

「あのね、ついに車椅子に生活になったぁ」
これが、彼女との会話の最後。10年前のことでございます。
「飛び降り自殺も出来なくなったワケだ。不自由だろう」
「そうなのさ」

27歳で発病し、それまでは誰もが振り返るお女性でありました。
いちじはモリオカ、イイ女の10指に入っていたとか。
「男たちの生霊じゃねのか」が、私メの彼女に対する最後の言葉でありまして、それはそーいう理由があったのでありました。

が、私メは彼女をオンナとして見たことはなく、「昨日、三人にナンパされたおん」とか「そのうぢ、オノ君もわたしに惚れるわ」などと気軽な関係だったのであります。

発病してから、病気はさまざまな形で彼女を襲い、両親が死に、夫が逃げ出し、最後には介護をしていた息子も行方不明。
彼女の実家は廃屋と化し、病棟のベッドで息を引き取ったとか。

それらの悲惨は大運が物語っております。
大運には順運と逆運がございまして、もしも順運だったならば、その人生は華やかな男運が途切れずに咲いていたはずであります。

いつだったか「奇門遁甲って、わたしに使えるかな」と訊かれたことがございます。まだおぼつかないまでも歩行が可能だった頃でした。
コンサートに一緒に行き、ところが帰り際、観客が去ってもセッちゃんは座席から立ち上がれず、私メに手を伸ばした時のことでありました。見られたくない姿を見られてしまった表情で「奇門遁甲を」と誤魔化したのかもしれませぬ。
「モテモテだったセッちゃんも、こーなってしまったか」
と手を引き上げたのでした。病魔にむしばまれた死臭に似た吐息が私メの鼻を突きましたです。80歳過ぎの老婆のよーな皺も病魔のなせる残酷でございました。地獄から引き吊り出した思いだったのを記憶しております。

「あとで調べとくよ」
結局、奇門遁甲をほどこす前に、彼女との音信は途絶えたのであります。私メだけでなく、すべての知人との関係もみずから絶ったよーであります。

奇門遁甲で生年月日や大運を変えることが出来ると秘伝書には記されております。が、実際はたとえば胃がんを胃潰瘍に軽減するだけのものであります。それでも本人にはかなりの光になることでございましょう。

酔えない酒を飲みつつ、カラオケで賑わう店をあとにいたしました。

実家の部屋で、彼女の生年月日を調べ直しました。死期を告げる赤い矢印は今年の1月に集まっていたのでありました。
「セッちゃんと最後にデートしたのは、自分ということになるわけだなぁ」

ため息をついた、その直後、携帯が鳴りました。
「ここにも羽根から血をながしている鳥がいる……」
窓ガラスには夜の雨の筋が数本、ななめにはしっておるのでございました。

2015
11.20

実家は枯葉に埋まって棺桶のようでございました。
丸一日かけて枯葉をレーキで集めてゴミ袋に。
夏のあいだ、あれほど茂っていた葉はすべて枯れ散り、木々は丸裸。

それを私メが拾い集める姿は、どっちが枯葉なのか定かではなくなるのでありましょう。

ゴミ袋には、私メの頭部や臀部が詰められているような気もしないではありませぬ。

日干が根のない甲木のお方は、勢力のあるうちはうっそうと葉をつけて実力以上に威張っておりますが、人生の秋を迎えると、「こんなに細い枝であったのか」と見る者を切なくさせるものでありますが、まさに葉を失った樹木は寒々と落日に照らされておりました。
コレ、四柱推命の調候用神法の解釈の基本のひとつであります。

午後3時ともなると日は落ちて、お女性の燃えた肌の温度のお酒が恋しくなりますです。
台所の板の間に岩手の銘酒、鷲の尾が私メを待っておることが心の救いでありました。

が、調候用神法をバカの丸おぼえにしてはなりませぬ。
そこに通変という臨機応変の機転を利かせてはじめて判断が成立するのであります。
秋だから、すべて死に絶える。これから冬を迎えるしかない。
その通りでありますけれど、小春日和というものが人生にもございます。
老体となっても、ときとして激しく女体を欲するように。老婆となり果てても若い男の匂いに血潮が復活することだってあるのでございますから。
枯れ庭の一隅に、白バラがひっそりと息づいておりました。

真冬まで、あといかほどでしょう。
それでも白バラが花をつけていることを未練がましいと思う方がいるかもしれませぬ。

かまうものですか。
他人にどう思われようと、モラルに背こうが、白バラが咲いていることはれっきとした事実であります。

咲く時期はそれぞれ。
また何度でも咲けるのであります。

暗国の未来は迫っております。
「マイナンバーがきたぁ」
と老母が嘆いております。

紅き唇はとうにあせたとしても、黒髪が霜に染まろうと、それはそれで趣のあるお姿カモしれませぬ。