2018
02.19

十傳スクール、断易中等科が、昨日の講義で終了しました。

天玄賦の解説が中等科だったのであります。

断易で難しいものに、父母爻と兄弟爻の解釈がございますです。

天玄賦は、兄弟、子孫、妻財、官鬼、父母の五種類のエレメンツの解釈を主眼としているのであります。

他のスクールに流れたお方が、「また学びたいのですが」と連絡されるのですが、私メの断易教室を越える教室は、どこを探してもないはずであります。
なにしろ、菊池靖典から鷲尾先生に至る口伝などを、すべて網羅したテキストを使用しているからであります。
そこいらのテキトーなテキストなのではございませんです。

さて、兄弟爻。
恋愛占では、お女性を剋す星として有名であります。
「いじめられますね」などと断じたくなるでありましょうが、では「イジメられるとは何か」「剋されるとは何か」を深く思考しなけれはならないのであります。

また恋愛は、自分の心を偽っている場合が多いものであります。
愛している、好きだと思ていても、胸に手を当ててみると、「本当は結婚に焦っているだけで、好きだと思い込んでいるだけであった」というケースも多くみられるのでありますです。

そういうケースも心に入れて、日本人の恋愛を探る必要がございます。

断易中等科の上は、高等科でして、いよいよ「黄金策千金賦」へと踏み込んでいくのであります。

最近、初等科しか学んでいないお方が、電話でいろいろと質問されているという苦情が出ておりますです。
お金を出して勉強を続けているのですからね。

ついでに申しますと、十傳スクールは仲間作りの場所ではございませぬ。お勉強を教えあうなどせず、さっさと帰宅するのが賢明であります。愚かしいトラブルを防ぐためにも。

2018
02.17

しまいは必ずやってくるのであります。

努力も頑張りも虚しく、まるで雷雨の如くやってくることもあるし、ピアノの旋律のように緩やかに訪れることもございますです。

春が寒いのは、そのせいかもしれませぬ。

満腹になり、しかし、立ち去るにも惜しい気持ちが残るとき、最後の一貫を何にしようか。
私メは、お新香巻きを、卵焼きをきってもらい、ちびりちびちりと口にいたしますです。
それでも、なお心残りを覚えたならば、マグロの赤いところを握ってもらうのであります。

そして、まだ淋しく感じることがございます。
けれど、それ以上はいけませぬ。

それ以上は未練になるのでございます。
ばかりか、みじめたらしいのでありますから、
「お勘定…」
席を立つしかございませぬ。

そーして、コートの前を開けっ放しで、夜風に吹かれるのであります。

すると、やはり終わっていたことに気づくのでございます。

「明日が待っているなぁ」
もはや、なにを食ったのか、それすらも忘れるから妙でございます。

寿司のことを語っているのではございません。

2018
02.15

ついに来るべき季節が来てしまったよーでございます。

春、春、はる。
なんと気だるい響きでしょうか。そして恐ろしい響きを持つフレーズでありましょうか。

自殺者の多発する春。濁情に目覚める春なのでありますです。

ここ。後楽園の小石川庭園で、はやくも汗ばんでしまい、梅の次は桜、その次は藤、つつじとつながって夏へと雪崩れ込む季節の意地悪を感じ、背中の汗に呆然とするのでありました。

濁情に目覚める春だからと言って、東屋の草屋根をナニかと連想して、興奮する齢ではありませんけれど、こーやってカシャッ! と写したところを見ますと、回春の春で、心を慰めたかいのかもしれませぬ。

が、これでは冬を求めていずこかに旅行したいという気持ちにもかられます。どうじに、一方では、いさぎよく次の季節を迎え打とうという気持ちも。

四月からの新講座の準備にいそしむのが妥当だと分かっていますから。

梅林を抜けると、円月橋に出たのでありました。

現実の半円と、水面に映る虚の半円で、円を描くという趣向は単純ではございますが、この季節にはなんとなく合致するのでありました。

テクテク、テクテクと四半刻ほど歩いて、事務所に戻るのでありました。

Tシャツは汗まみれです…。