2020
05.28

オルガンが得意であった頃もございました。

実家の屋敷を壊すまで、このオルガンは納屋の奥で埃まみれで眠っていたのであります。廃品業者に処分させましたです。

得意だと言っても、幼稚な曲ばかりであります。
昭和天皇の前でも弾いたことがございます。弾かされたという方が正解でありますけれど。

いまでも楽器屋とかホテルにオルガンがあると、つい触れたくなるのでございます。脳髄が求めるのであります、あの痺れを。

ピアノとちがってオルガンは指の腹の指紋のひとつひとつに音のかすかな残響が感じられ、それが脊髄につたわる心地よい痺れがございました。

お女性の背中を鍵盤にみたて、寝そべりながら右手だけで子犬のワルツをスローで指先でなぞっていましたら、
「封印したのは何故?」
尋ねられて、どーしただったかな。ちょっと考え込んだことがございます。忘れているのでございます。
「だまっていて」
背中の体温が指の腹から逃げていくのが惜しくもあり、だからお馬の親子に曲を変えてお茶を濁したのでありました。

世の中には、理由もないサヨナラが多いのかもしれませんですね。

別れなくてもイイ関係なのに、サヨナラしてしまう。
サヨナラの言葉のない別れも存在いたします。

気に入って毎日のようにかよっていた喫茶店なども、これという理由もなく足が遠のいてしまうことだってあるわけです。

お気に入りの万年筆や、大切にしていた音楽CDがふいに失うことだってめずらしくありません。

このたびの疫病騒ぎや緊急事態宣言騒動で、まだ5月なのか、もう5月なのか、時の感覚のリズムがくるってしまい、これから雨季が来て夏になり、そして秋へと傾く時間の流れが、とても遠く苦しいものにかんじられますですね。
そして、きっとおそらく、それが何かとても大切なものとサヨナラしてしまっているはずであります。いまはサヨナラした何かが分からないけれど、耳を澄ましても聞こえないけれど、けっして戻ってはこないものなのでしょう。

イタリアのポンペイという都が一夜にして滅び、その後、千年以上も、そこに都があったことすら忘れられていたよーに、いつか、
「失くしたものはコレだったのか…」
と発見する日がくるかもしれません。

「何も訊いてはいけない。遠い昔のことなのだから」
指先だけは鍵盤を憶えていて、お女性の汗ばむ背中をなぞるのであります。