2013
03.18

十傳スクールの夜の部のお申し込みを、3月29日(金)で締め切ることにいたしました。

詳細は、「十傳スクール」のカテゴリーでご覧くださいまし。

◆断易は、なかなか教えてくれる場がないのが実情でして、教えてくれても、よく分からないという話を耳にいたします。
「断易は難解だ」となってしまうわけです。
しかし、実際はとても親しみやすい占いなのであります。
もちろん、暗記しなければいけないことはございますです。
それらをゆっくりと身に沁み込ませればイイのであります。
また、多くの原則があり、頭が混乱するということも聞きますですが、整理すればワケはございませぬ。
断易は、同じことを渦を巻くように深めていくのでして、覚える範囲はそんなに多くはありませぬ。

◆四柱推命は1年間でプロ並みに仕上げることを目標としておりますです。
基礎も大切でありますが、やはり少しずつでも判断できなければ面白くございませぬ。
それらを、分かりやすくお教えいたしますです。
気づいた頃には、「へぇ、なかなかスゴイことになってきたぞ」と身についている自分に感心することでありましょう。

まあ、固くならずに、リラックスしていっしょに学びましょう。

2013
03.17

誕生日やイブなど、大切なイベントになると、どうしてかきまって関係が最悪になる恋があるものです。

私メだけかと思っていましたが、占いを生業とするようになってから、そういう関係はけっこう多いことに気づいたのであります。

「誕生日には一輪でいいからバラの花がほしいな」
「じゃぁ、来月はバラの花を用意する」
と約束したにもかかわらず、誕生日の一週間ほど前から、つまらないいさかいを起こし、ついに、その約束を果たせないまま、恋が枯れてしまうケースは、たしかに世間では多いのでありますです。

花屋の店先でバラを見かけるたびに、気持ちのどこかが疼くのは、遠い記憶が呼びとめているからかもしれませぬ。

真っ赤なバラの花びらをバスタブに散らしてお女性と楽しんだことは、そんな純情を、愚かな戯れによって、あえて濁らせてしまおうとしたたくらみだったともいえなくもありませんです。
「別の女ともこんなことして遊んでいるんでしょう」
などと問われて、鼻先で笑えばいいモノを、必死で打ち消しながら、そんな自分の幼さに恥じたこともあったような気がいたします。

いまでも分からないのは、なぜバラの花などを贈られてお女性が嬉しいのかという、その気持ちであります。
恥ずかしさに耐えつつ、花束を抱えて、待ち合わせ場所で、それを手渡すとき、男にも妙な陶酔がないとはいえませぬ。

そのバラの花束をレストランのテーブルに乗せて、ニヤニヤしながらワインを傾けるとき、お女性は奇妙な優越を覚えるのでありましょうか。

バラの花束とラブホは似合いませぬ。
突如として話題が逸れましたけれど、ふと、花束を抱えてラブホの門をくぐることを想像しただけでありますです。

しかし、そういうことなのかもですね、バラをお女性が男に求めている気持ちというものは。

ラブホでもない、居酒屋でもない、バラの似合うスポットを、特別な日は楽しんでみたい。楽しむ日にしたい。楽しませてほしい。

その期待が重圧となるのか、多くの男女は、大切な日が近づくと、期待とは逆方向へとすれ違うのでしょうか。
「どうして、こうなるのよ。とても楽しみにしていたのに!」

批難メールは、メールボックスで眠ったまま、しずかに遠い日になっていくのでございますです。

2013
03.16

希望の春などと申しますが、その希望の陰には絶望があるのでありますです。

やっと冬の鑑定の季節がおわり、ふりかえりますと、今年も、進学についての相談が多かったのでございますです。

これから述べることは、相談者のプライベートを守ることもありますので、かなり脚色いたしますです。

志望高校に不合格となったことに納得できなかったお母チャンが、高校に乗り込んで答案用紙のチェックを求めたり、あるいは、周囲に合わす顔がないと自殺しようとしたお母チャン。

受験は、希望と見栄との戦いのようでもございますです。

早稲田大学に三浪し、それでもまたチャレンジしようという受験生をもつお母チャンからの相談は記憶に残っておりますです。
こういう受験生は、すでに合格を諦めているのであります。
たとえ勇ましい態度をしていても、もはや受かることはないと、どこかで感知しているのであります。

問題なのは、どうやって当人に傷をつけずに、別の方向にスライドさせるかであります。
「バカなのだから諦めらなさい」
と言っては、一生の心の傷となり、ことあるごとに「また失敗しそうだ」とビクビクして生きることになりましょう。

そうではなく、「もうお金がないから、浪人だけはやめて、お願いだから」
と子供に頼むことで、子供はホッとして「仕方なねぇなぁ」と新しい方向へと一歩を踏み出せるのであります。

むろん、親は死ぬまで、「早稲田にいけなかったのは親のせいだ」と責められ続けるでしょうが、それでも子供の受ける傷は軽減できるのでありますです。

親の見栄。
これがブレーキであります。
相談者に来られるのが親であれますから、「あんたの姿勢はダメだ」といえば鑑定料金を払ってくれない危険がございますです。

このへんの匙加減をみながら鑑定をすすめることは、吉凶を占うより骨が折れるのでありますです。

春の海は、しかし、そういう雑多なことを過去に流すように、輝いているのであります。

志望に合格しても、滑り止めの大学への入試を受けとめようと、大切なのはやがて知り合いになる人たちとの人間関係に尽きるのでありますです。
そして知るのでありましょう。

「自分がこの学校に入るというのは、運命からの呼びかけだったのだ」と。

絶望の中に鼓動している春の息吹を、どーぞ感じとってくださいませ。