2013
03.17

誕生日やイブなど、大切なイベントになると、どうしてかきまって関係が最悪になる恋があるものです。

私メだけかと思っていましたが、占いを生業とするようになってから、そういう関係はけっこう多いことに気づいたのであります。

「誕生日には一輪でいいからバラの花がほしいな」
「じゃぁ、来月はバラの花を用意する」
と約束したにもかかわらず、誕生日の一週間ほど前から、つまらないいさかいを起こし、ついに、その約束を果たせないまま、恋が枯れてしまうケースは、たしかに世間では多いのでありますです。

花屋の店先でバラを見かけるたびに、気持ちのどこかが疼くのは、遠い記憶が呼びとめているからかもしれませぬ。

真っ赤なバラの花びらをバスタブに散らしてお女性と楽しんだことは、そんな純情を、愚かな戯れによって、あえて濁らせてしまおうとしたたくらみだったともいえなくもありませんです。
「別の女ともこんなことして遊んでいるんでしょう」
などと問われて、鼻先で笑えばいいモノを、必死で打ち消しながら、そんな自分の幼さに恥じたこともあったような気がいたします。

いまでも分からないのは、なぜバラの花などを贈られてお女性が嬉しいのかという、その気持ちであります。
恥ずかしさに耐えつつ、花束を抱えて、待ち合わせ場所で、それを手渡すとき、男にも妙な陶酔がないとはいえませぬ。

そのバラの花束をレストランのテーブルに乗せて、ニヤニヤしながらワインを傾けるとき、お女性は奇妙な優越を覚えるのでありましょうか。

バラの花束とラブホは似合いませぬ。
突如として話題が逸れましたけれど、ふと、花束を抱えてラブホの門をくぐることを想像しただけでありますです。

しかし、そういうことなのかもですね、バラをお女性が男に求めている気持ちというものは。

ラブホでもない、居酒屋でもない、バラの似合うスポットを、特別な日は楽しんでみたい。楽しむ日にしたい。楽しませてほしい。

その期待が重圧となるのか、多くの男女は、大切な日が近づくと、期待とは逆方向へとすれ違うのでしょうか。
「どうして、こうなるのよ。とても楽しみにしていたのに!」

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