2013
03.16

希望の春などと申しますが、その希望の陰には絶望があるのでありますです。

やっと冬の鑑定の季節がおわり、ふりかえりますと、今年も、進学についての相談が多かったのでございますです。

これから述べることは、相談者のプライベートを守ることもありますので、かなり脚色いたしますです。

志望高校に不合格となったことに納得できなかったお母チャンが、高校に乗り込んで答案用紙のチェックを求めたり、あるいは、周囲に合わす顔がないと自殺しようとしたお母チャン。

受験は、希望と見栄との戦いのようでもございますです。

早稲田大学に三浪し、それでもまたチャレンジしようという受験生をもつお母チャンからの相談は記憶に残っておりますです。
こういう受験生は、すでに合格を諦めているのであります。
たとえ勇ましい態度をしていても、もはや受かることはないと、どこかで感知しているのであります。

問題なのは、どうやって当人に傷をつけずに、別の方向にスライドさせるかであります。
「バカなのだから諦めらなさい」
と言っては、一生の心の傷となり、ことあるごとに「また失敗しそうだ」とビクビクして生きることになりましょう。

そうではなく、「もうお金がないから、浪人だけはやめて、お願いだから」
と子供に頼むことで、子供はホッとして「仕方なねぇなぁ」と新しい方向へと一歩を踏み出せるのであります。

むろん、親は死ぬまで、「早稲田にいけなかったのは親のせいだ」と責められ続けるでしょうが、それでも子供の受ける傷は軽減できるのでありますです。

親の見栄。
これがブレーキであります。
相談者に来られるのが親であれますから、「あんたの姿勢はダメだ」といえば鑑定料金を払ってくれない危険がございますです。

このへんの匙加減をみながら鑑定をすすめることは、吉凶を占うより骨が折れるのでありますです。

春の海は、しかし、そういう雑多なことを過去に流すように、輝いているのであります。

志望に合格しても、滑り止めの大学への入試を受けとめようと、大切なのはやがて知り合いになる人たちとの人間関係に尽きるのでありますです。
そして知るのでありましょう。

「自分がこの学校に入るというのは、運命からの呼びかけだったのだ」と。

絶望の中に鼓動している春の息吹を、どーぞ感じとってくださいませ。