2015
03.22

墓参りの帰り道、五郎沼に立ち寄りました。
平泉文化の藤原清衡の孫の五郎季衛のゆかりの地でございます。

古代ハスが季節になると花開く沼であります。
この蓮の種が、藤原最後の泰衡の首を入れた棺から昭和に発見され、試しに植えたところ発芽したとのこと。

が、今は蓮の花の季節にはまだ早く、可憐な草花がほころんでいるのでありました。
桜の蕾がやや膨らみ、沼の水は春の光をはじきながら、つめたくたたえられておりました。

千年前の沼が、こうして存在することすることを考えると、気が遠くなりそうなのであります。
泰衡の棺に蓮の種が発見されたということは、蓮の花で棺を飾ったということでありましょうか。

源義経が平家を亡ぼした後、兄の頼朝とヤバイ関係になり、平泉を頼ったと言われておりますが、実際は、対鎌倉に対抗できるのは「僕だもんね」と売り込む考えもあり、かくまった藤原秀衡にもその考えはあったのでありましょう。

が、秀衡が死に、その子の泰衡と上手くいかずに義経は殺され、「僕だもんね」がいなくなった平泉を頼朝はやすやすと亡ぼしたわけであります。

その泰衡の首を収めた棺の蓮の種が…。

この沼を訪れる人は誰もおりませぬ。

イヤ……。おりました。
ここに形跡がございます。

人間の種を収めたナニが落されていたのでございます。

感慨ぶかい物体ではございませぬか。
男女の感情を置き去りにしたまま物体のみが残されておるのでございます。

私メはしばし哲学に耽るのでございました。

人の世の営みは、こうやって延々と繰り返すもののよーでございます。
この物体からDNAを取り出すことは、その気になればできぬことではありますまい。

墓参り。古代ハス。そして人間の種。

哀しい発見でありました。
人類の発展のプロセスなのでございました。

ハリきらねば!

2015
03.20

モリオカの中心部にかような廃墟が存在しているのであります。
伊太利の一画のようでもございます。

その地下にフランス料理屋があることはさほど有名ではございませぬ。
老母と赴いたのでありました。
「ナイフとホークだえんが。割り箸もってぐがな」
と案じておりましたが、「なぁに。いさいさ、日本人同士なんだおん」と一人で納得し、心を決めたようでありました。
レンガ造りの建物の階段を下りますと、レトロなドアがあり、ドアのガラスの向こうで、修道女みたいなオバちゃまが出迎えてくれましたです。

この場所は、かつては色々な式典に利用され、私メは呼ばれませんでしたが成人式などもとりおこなわれたところなのでございます。
いまでも、ささやかに利用されているらしいので正確には廃墟ではありませぬ。
おやおや、純白のテーブルクロス。ビニールではありませぬ。
ちゃんとしたレストランであります。
「どーせ、わたしなんかは連れていってくれないよね」
とどこかで或るお女性の声が聞こえたよーでありました。
「ああ」
と幻聴に、私メは無言で答えました。
髪を振り乱して木こりのようにゴシゴシとナイフで肉を切るようでは、ちと恥ずかしいかもよ、と。
フォークの先を口に持っていくように、しかも少しずつ食わないとね、と。

アホであります。
そんな作法などどーでもイイのに、そういうことが目に入ってしまうお女性がいるものであります。
不作法さがかえって可愛いと感じさせるお女性がいる一方で。
食事のあいだ、ずっと幻聴と会話をしていたのでありました。
「最初から愛なんてなかったものね」
「だったかな」
「また誤魔化してばっかり」
「どんなに苦しんだかぜんぜんわからなかったよね」
「冷めちゃうよ」
「なにが?」
「料理が」
「えっ、わたし、そこにいないのよ、しっかりしてよ」
そうでしたね、幻聴でしたね。
「あ~、めめめめ」
と、老母。
廃墟には廃墟の魂が潜んでいるようでありました。

めめめめとは、旨め、旨め、旨めの短縮形で古いモリオカの人達の日常用語でございます。

2015
03.18

久しぶりに神保町へと足を伸ばしたのでございます。

求める本を購入し、いやぁ、占いの本はバカに高いのでありますが、そういうものと覚悟を決めていたので昔のように表情が青ざめることはございませぬ。

で、ぶらぶらと。

そうそう、5月30日の家相セミナーですが、予想をはるかに超える予約でちょっとドキドキしております。
締め切りを3月末日にしておりますが、それより早く繰り上げて締め切るかもしれませぬ。
お申込みは早い方がイイかもですよ。
お問い合わせからお申込みをどーぞです。

セミナーが終わったら軽く懇親会をやろうとしているのですが、そんなに大勢の人が入る店ってあるのか不安になっておるのであります。

神保町界隈は私メの古巣でありました。再開発前のゴチャついた裏通りが懐かしく思い出されますです。

観たことのないDVDにもなっていない古い映画のパンフを何冊か買って、どういう映画なのだろうかと空想するのも楽しゅうございます。

昭和52年あたりは、もっと古本屋が多く、その後、スキーブームの到来でスポーツ屋が立ち並び、いまはそれらもなくなって色々なオフィスや食べ物屋で賑わっておるのであります。

帰りの電車で、購入した占い本を紐解きましたら、
「おお、これはこれは!」
という詳細が書かれておりまして、得をした気分。

いずれは十傳スクールで話のタネにしたいと思っておりますです。もちろんセミナーにおいてもであります。

温かい日でして、歩いているうちに汗ばみまして、電車の中でオレンジジュースをどくどく飲んだら、グッグググと下腹が鳴り出しましたです。