2015
03.09

肉体的に疲れたときは、貧乏すき焼きに限るのであります。

牛肉は少量、そのかわり糸こんにゃくは気が遠くなるほど入れるのであります。

葱は四本。これは貧乏すき焼きに限らず、すき焼きというものは葱を食うフードなのでございますから。

好き+妬き=濁臭。
私メは生卵を可能な限り、壊さずに食う主義でございます。
白味を熱いコンニャクで固めつつ、すすりまして、最後に卵黄が残る気持ちよさはすき焼きの隠れた喜びなのであります。

そして最後に箸で突いて卵黄を壊すのでありますが、その頃には、卵黄もまた固まりかけておりまして、唇の端っこに引っ付いたりいたします。

好き妬きしながらも別れられず、お互いを大切にし合った男女のひそやかな幸福とでも言いましょうか。
誤って途中で卵黄が壊れたりするのは、好きと妬きが調和せずに終わる濁情のようでもございます。

「オノさん、けちけちせずに、卵なんてお代わりすればいいんだから」
などと言われたことがございますが、いやいや、そういうモノではありませぬ。
あれは馬肉のすき焼きに呼ばれた時のことでありました。

はたから観察すればバカバカしいケチくさい仕儀に見えても、本人は真剣なのであります。

いずれにせよ、明朝は、信じられないほどの大便が、疲労という毒とともに「好き+妬き=濁臭」として排泄されることになりましょう。

太古から男女の営みが繰り返され、傷ついたり、この世のものとも思えぬ陶酔に浸ったりしつつ、いつしか地に還るように、好き+妬きもまた「ああ、そういうこともありましたねぇ」と独り言をつくのかもしれませぬ。
「もう、あれほどの熱情は残ってませんけどね」と。