2018
05.06

夜のタクシーで東京を走るのが好きなのであります。
出来れば、無口の運転手が有難いのであります。

いつものよーに……いえいえ、たまになのですが、神楽坂でタクシーを拾いまして、
「青山のあたりまで」

白髪の運転手でありました。

小雨が降りだしました。
抜け弁天をとおり、新宿の明治通りに出たあたりで、何気なく運転者の氏名のプレートが目に入りましたです。
《岩淵》
とありました。
えっ、あっ、下の名前はというとHであります。

高校時代の級友の名前でございます。
おそるおそる後ろから横顔をのぞきました。
高い鼻梁と絶壁頭。
白髪を空想で黒くしましたら、間違いありませぬ。
イワブチくんなのであります。

声をかけようとして、やめました。
イワブチくんは、フォークシンガーを目指して上京したことを思い出したからであります。学園祭ではスターでした。私メが詩を書いた「♡ムズムズ」に曲を作り、「♪むずむず、むずむず、むずむずむずむずハートがむずむず、眠れない、眠れない、おまえひとりに、むずむずむずむず~♪」とバカみたいにのったのでございました。
ヤマハの音楽祭では予選落ちでありましたけれど。
モリオカ駅のホームで「ばんざーい、ばんざーい」と送り出したことまで思い出したのでありました。

目標の着地点とは、ずいぶん離れた場所に降りたんだね。
それは自分自身にも言えることであります。

「ここでいい」
料金を支払い、レシートをイワブチくんは体をねじって渡してくれました。黄色い目がちと充血しておりました。
私メに気づいた様子はまったくございませぬ。

窓ガラスにちらっと視線を走らせただけでありました。

去っていくタクシーを見送りながら、
「どーうして久美ちゃんと別れたんだ」

人生も運命も魅力的なまでに悲しく淋しくドラマティックでございますです。