2018
05.02

極端なまでに生きにくい時代に移っていることを感じるのであります。
感想を問われて、それについて正直に喋ると、あげあしを取られて責められるというバカバカしい風潮が普通になっておりますです。

思ったことを口に出すことなく、貝になることが利口な時代になってしまったのかもしれませんです。
私メの育った1970年代は、
「天皇をぶっ殺せ」
などと叫んでも笑って無視されたものであります。

が、面白いことに、朝鮮人の悪口を語ると、「おいおい」と非難されたものでございます。私メは差別の意識なく、すべての人間がキライですから思うままに述べるのでありますが、近ごろは天皇非難はもとより、障害者の物まねもとんでもないこととされ、お女性の胸に視線を当ててもセクハラとなるよーであります。

運命学は、男尊女卑っぽいところがかなりございます。
仕事をするお女性は不幸であるという考え方もありますので、それを2000年代に翻訳しつつ講義しなければ、今の世に活用することができませぬ。
自分たちの占いに権威をつけよーという占い教室では、中国の有名な王様の生年月日を用いて運命を解き明かしていると自慢しておりますが、まったくの無駄と申さねばなりませぬ。
また、芸能人の生年月日のデータを収集しているお方もバカとお呼びせねばなりませぬ。

実際の運命学は、人間の普遍的な業のよーなものを見据えて、そこから金銭的な幸運、名声的な幸運を模索する作業でございますです。
差別的と眉をひそませる用語を避けては通れませぬ。

また、殺人事件などが起こると、テレビの奴らなどは、
「信じられません、犯人はどういう気持ちでヤッたのでしょう」
などと語っておりますが、運命学をまなぶ上では失格であります。
まぁ、TVの奴らは150%は売名行為なので、本音を語ってはクレームをつけられるだけなので、付和雷同的な態度でなければ、出演する意義はないのでありましょう。

殺人は法律で禁じられているから悪いことなのであって、朝鮮人を殺せば褒美をもらえる法律が出来れば、朝鮮人をかくまうことが犯罪となるのであります。ナチスさんの時代を思い起こせば納得できましょう。
また、殺したいという気持ちは誰でも持っており、その気持ちを見つめて、犯人の心にならねば、運命はよく見えてはこないのでありまずす。

生きにくい今の世の中の根底にあるものを探るにも、運命学は役に立つのでありますです。