2018
05.18

「まだ、占いなんかやってんの」
モリオカなどで言われることがございます。
「そんな嘘みたいなこと、わたしは信じないからね」

たしかに占いとは仮定の上に構築された断定の世界である。
冷静に考えれば、四柱推命を例に挙げると、「甲は樹木で、乙は草花」と人間を置き換えるところから、そもそもヘンだと言えば根拠のないことになりますです。

命式で乙日生まれで、その隣の月干に辛があれば、ハサミで草花をちょん切られるようなものだから、仕事でも趣味でも挫折することが多く、お女性は男運が悪いのだ、などと断定するのも、嘘くさいのであります。そしてまた、ハサミでお花を切られたら、ふてくされて棘を出したり、地下茎となってとんでもないところに芽を出して復讐みたいなことをするってのも、乙の人物としての判断要素にいれなければならない部分であり、それはそれで激しく的中するのでありますが、「嘘くさい」と言われれば「はい、そーですね」とうなだれるしかないのであります。

私メは、世間からみれば、その嘘を講義し、受講料を頂いているのですから「なんて奴だ」ということになるのであります。

ですから自分から「オレって易者なんだぢぇ」とすすんで申すことは絶対にないし「この人占い師なの」と紹介されることに苦しいまでもの抵抗感を抱いておるのであります。
「デザイナーでしょう?」
「絵描きさんですよね」
と、それぞれに「まぁー」などと答え、嘘を重ねるのであります。

嘘をつけばつくほど鼻が高くなっていくピノキオというイタリアの童話がございますが、じつは最近、私メの鼻の脇にオデキが発生し、それがだんだんと隆起しているのであります。
鏡をのぞくたびに、職業病だろうか。ふふふ。自虐的な笑みがこぼれるのであります。

「切らないといけませんな」
整形外科の医師はこともなげにおっしゃいました。

「はぁ」
と返事し、美人のナースをてろりと見上げながら、
「はたして切ってイイのであろうか」
心は、切除することに、わずかに抵抗しているのであります。

ピノキオでイイのではないか…と。

「当分は、おさけを控えましょうよ」
医師は年下のくせに、説教っぽく命じるのでありました。
「そーですね」
バカいうな、浴びるほど飲んでやるぞ。
そのときだけオデキはわずかに縮こまった気がいたしましたです。