2020
05.20
画像は、ビスコンティ監督の名作、映画
「ベニスに死す」のヤツであります。
この美少年に老作曲家が恋をするお話であります。
ベニスにコレラが流行り、観光客は逃げ出すのでありますが、老作曲家は、この美少年に心を奪われ、逃げ遅れ、コレラに感染し、死んでしまうお話でございます。
映像の美しい名作だということは分かるのでありますが、どーもピンとこなかったのであります。
美とか退廃とかそーいうものを感じなければならないのでありましょーが、ホモ映画ということが生理的にダメでありました。
占いの鑑定でも、ホモの気持ちがいまひとつ理解できずにおったのであります。
ところが、モリオカのあるコンビニの店員にハートをえぐられるよーな衝撃を受けたのであります。
普通のどこにでもいる、顔色の悪い痩せこけた20代前半の女性の店員でありました。
が、口元に青いヒゲの剃り跡を発見したのであります。
「男ではないか…」
呼吸が止まりました。
柔らかな声は女性のものなのであります。身ごなしも、商品を手渡したときの瞳の表情もお女性、そのもの。
ふいに、いままで覚えもしなかった不思議なお湯が体を流れ始めたのであります。
顔色の悪さも、痩せこけた体も、せつないほどにいとおしく思えたのであります。
薄い胸板にはコメ粒ほどの乳首がひっ付いているのだろう。
アスパラガスのように幼いペニスもついているのかもしれない。刺激してやると震えて気品よくツンと勃起するのだろうか。ささくれた指をうるけるほどに口に含んだら…。
「これか、これだったのか!」
性同一障害などという用語は不適切であります。
蘭丸と名付けましたであります。
おそらく蘭丸への気持ちは報われることは決してありません。
精一杯のオシャレをしてコンビニにいくことになるでしょう。そのたびに呼吸があやしく乱れることで満足することでございましょう。
「これなのか」
もういちど心でうなづきましたです。
ホモの鑑定も対応できるぞ。
「ベニスに死す」を見直さなければなりませんです。
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独断的恋愛論 /
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2020
05.19
自粛のつづく関東を離れ、郷里のモリオカにつくと、実家の花々が迎えてくれたのであります。
「コロナ菌がぜったいに付いているから…」
と、いつもは駅にクルマで出迎えてくれる妹も、もう寄り付きもしないなか、物言わぬ花々だけが、しずかに私メを包んでくれるのでございます。
人々はみんな狂っているよーであります。
誹謗中傷の応酬がネット上で乱れているらしいし、ここぞとばかり正義や権利を振りかざすお姿もここかしこで見えるよーになっておりますです。
いわば、神様が、世界中、すべてが平等に、あさましい状態に陥るよーに仕向けたのかと空想すれば、それはそれで面白いのであります。
ソフトバンクが大赤字とか。
ここらへんで金持ちと貧乏人を入れ替えさせてやれという匂いも感じられますです。
他人の所作にクレームをつけていては、せっかくの再出発のスタートに遅れてしまいます。むかしどおりの貧乏生活を送るよーでは、そして、それはたぶん大多数なのでしょーけれど、神様を恨む筋合いはございませぬ。
そんななかでモリオカの花々だけは、誰に見られるともなく花開いているのでございました。
建設中のお家はあまり進展がなく…
「広すぎるからなぁ」
と大工衆は、内部の組み立てにいそしんでいるのでございました。秘密のドアや、隠れ部屋、ブランコやガラスの部屋などなど。
注文が多すぎたのかもしれませぬ。
「妹はこの舘に立ち入ることは控えてもらわないとな」
駅に出迎えないばかりか、1月から、私を避けているのでありますから。
妹だけでなく世間からの断絶。お家は高い塀ですっぽりと覆われ、塀の内側では花園が。
それが私メの新しい時代なのかもしれませぬ。
なぜ、モリオカに大きな家を建てるのか、わからないまま作業が進行していたのでありますが、
「こー言うことだったのか」
と、最近、自分の意識下に眠っていた囁きが聞こえてくるのであります。
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十傳の日記 /
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2020
05.18
リモート講義のチェックをしているのでありました。
自分の講義がどのよーであるかをチェックすることは容易ではありませんでしたが、録画を見ることで客観的に可能になるのであります。
また、6月最終の土日は、「手相セミナーD」を完全リモートにするのでございます。
手相は手の図形が必要であります。
ボードで下手糞な手を描くのではなく、手元での操作で手相の線を描けるかどうかに、手相セミナーの行方がかかっていると申しても過言ではございますまい。
先週のリモート講義では、
「ボードの文字がぼやけて見えません」
のご指摘を頂戴しましたので、その点を特にクリアし、今週の講義に臨んだのであります。
が、やはり手元の画面に切り替えますと、まだまだピントが甘いのであります。
で、最新式の専用のカメラをネット注文するのでありました。
しかしーー
老いたものであります。
意識では27歳あたりの自分だと思い込んでいたのでしたが、老醜がにじみ出ているのには愕然とさせられたのであります。
正しい老人の所作を身につけなければならぬと、しみじみと考えさせられたのです。
・ハシャいではならない。
・会合では隅に座り、早めにきりあげること。
・そのときは、いくばくかの金銭を置いていくこと。
・眉を上げて会話すると、老眼がバレ、さらに老いて見えるから、極力、一定の表情を保つこと。
等々。
ほれほれ、こんな風にバイバイのポーズをすればするほど、無理が感じられ悲しくなるのであります。
そして、ところどころで東北弁のイントネーションがオショしくなるのでありましたが、それは味わいということで仕方ありませぬ。
音声の乱れも今後の課題となるところかもしれません。
リモート講義。
わざわざ神戸に出張って講義した昨年までのことが不思議になるのであります。
「新幹線が遅延し、講義に遅れたらどーしよーか」
この心配からも解放されるのであります。
体温を感じられないところが、リモートの長所でもあり欠点でもあり、この点の工夫を考えなくてはなりませんです。
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