2012
05.19
05.19
昨年の秋の岩手山登山で負傷し、剥げた親指の爪も、このように回復いたしました、おもえばあれから、すでに7カ月以上も経っているのでありますです。
季節は夏直前。
暑くも寒くもない、そんな季節は年間で数日もありませぬ。
浜に出ましたら、さんさんと陽光が降り注いでいるのでありました。
いい音楽でもあれば最高なのであります。
波の寄せる音が途切れる、わずかな静寂もまた音楽かもしれませぬ。
三島由紀夫の「音楽」という官能小説を思い出すのでありました。
不感症に悩む患者と精神科医の物語であります。
音楽が、つまりは官能を意味しているこの小説は、かつて映画化され、黒沢典子という女優の存在を忘れられなくなったモノでありました。
女体をハープのようにつま弾く安らぎを、ふと思い出しました。
指先に伝わってくる「そこよ」とか「そこじゃないよ」という無言の会話は、そこに心がなくても、男と女のたしかな関係かもしれませぬ。
心とは何でありましょうか。
心では思っていないことを求めていることもあるのであります。
官能という旋律をカラダで聞いたときに、はじめて慕っていた事実を知り、驚き…いや感動するケースもございますです。
言葉は、あまりにも範囲が狭くて、「愛しているって言って」と求められても、なかなか口にすることはできません。
社交辞令でもイイのでしょうが、そのお女性に対する気持ちを「愛」という言葉に集約できないことの方が多いかもしれませんです。
「愛…」と途中まで言いかけて、恥ずかしさに苦笑い。
最後には、つま弾く音色を二人で確かめることしかできないのかもしれませんです。
が、男はそれでもイイのでありますが、お女性は満足できないのも、また事実でありますね。
音楽はつま弾く先から消えゆく音色なのでありますから。