2013
01.24

さいきん、ちょっと見かけないのでありますが、さとう珠緒であります。
このお方の、向かって左側の法令線上にホクロのあることが分かりますでしょうか。

お女性で、このホクロの持ち主は、とにかく誘惑に弱いのであります。
「この店をこっそりフケようか」
などという言葉を耳元で囁かれようものならば、官能に理性は隠れてしまうのであります。

たちまち目元をぬらりと光らせて、ニタッとすることは間違いありませんです。

エロ人相において、法令線は、貞節の門なのでござます。
唇は女陰をあらわしまして、それを守っているのが法令線ということであります。

この法令線にホクロがあるということは、貞節の門が破られている意味合いをもつのであります。
したがって、男の誘惑を素直に受け入れるというわけ。

逆に言うならば、法令線にホクロも傷もなく、クッキリした線が刻まれているお女性は、なかなか陥落いたしませんです。

まぁ、法令線は結婚してから出るものでして、男アサリをしているうら若いお女性に法令線はほとんどありませぬ。
人妻で法令線の薄いお女性は困ったものかもしれませんです。

いやいや、困るのではなく、むしろ男と遊んでいいという許可証のようなものと思ってもイイでありましょう。

こうしてみますと、彼女もなかなか良かったような気がいたしますですね。
ガチャガチャと小うるさいところさえなければ。

男で法令線上にホクロのあるのは仕事で蹉跌があるサダメとか言われますです。
現在、服役中の、ホリエモンに、このホクロがえげつなくあったように記憶しておりますです。

まぁ、男のホクロはどーでもいいわけで、やはりお女性のホクロは気になるのであります。

かようなお話を、十傳セミナー、秋の陣でいたしましたっけ。

人相は、基礎的な知識がなくてもOKだし、途中から聞いても理解できるという便利なところがございますです。
十傳セミナーは、そろそろ「桜の陣」なども計画せねばと考えておりますです。

占いネタは何がイイのか…。

いま考えているところなのでありますです。

また十傳スクールの平時夜間コースのご要望も多くなりましたので、こちらも準備しなければ…。

2013
01.23

PCが不調になり、まずは復活したのでありますが、、いちど不具合が生じたPCはいずれは大きなトラブルを起こすモノであります。

その予兆といえば、仕方ないのでありますが、いまにも雨が降り出しそうな午後、ビックカメラに出向き、新しいPCを購入したのであります。

そしていま、新しいPCを前にして、いささか自己嫌悪気味なのであります。

おもえば、愛犬のゴウか死んで一週間もせずにイタグレのロメオを飼うことにしたのでありました。
セラーが死んで、やはり10日後には、チャイクレの、ジョルノを飼ったのであります。

人でなしというそしりを受けましたが、そのときは愛犬に死なれた穴のあいた心を埋めるために、次なる犬を飼うことで対処したわけで、それはそれで、自分としてはいたし方ないことであったのであります。

が、愛用のPCの不具合があっただけで、新しいPCを購入する自分の冷酷さに、ちとたじろいでおりますです。

もう10年前のことです。
美人のアシスタントをクビにしたことがございました。
美人なので、男からモテモテで、無断出勤が度重なり、それで辞めてもらったのであります。
しかし、首にするときの罪悪感は尋常なモノではありませんでした。

その時と同様の気持ちが、新しいPCと、いままで頑張ってくれたPCを並べてみて、ふかく気持ちに突き刺さるのでありますです。

「どーせ、わたしは使い捨てよね」
と遠い過去からのお女性の声が聞こえてまいります。

いやいやお女性という生身の人間の心に対しては鈍感なのに、PCという無機質なモノに対する気持ちは、思いのほかデリケート。

販売員の、若造君の説明を上の空で聞きながら、
自分の冷酷さに呆れるばかりなのでありました。

「すまなかったなぁ」と心でつぶやくばかりであります。
「お前さんの気持ちが分からなかったよわけじゃなかったんだよ。しかし、勢いというものがあってねぇ」
と弁解はするものの、しだいに新しいPCの可能性に期待する気持ちを抑えることも出来ないのであります。

次の恋愛は?
みたいな期待感であります。

しかし、PCも10万円以下で買えるようになったのは、ちと嬉しいのであります。

2013
01.22

易の考え方の中に、少陽というものがございます。
この世が、陽と陰に分かれ、その陰はさらに老陽と少陽に分かれるのでありますですが、その少陽でございます。

完全な陰ではなく、陰の中に陽の兆しが芽吹いているっつうわけであります。

失恋して、絶望のあまり相手を逆恨みして取り乱し、その取り乱した自分に自己嫌悪してやつれ果てるのでありますが、しかし、負け惜しみではなく、失恋は、次なる出逢いの準備ということにも似ておりますです。

近所の梅の枝に、ほら、梅の蕾がむずがゆく色づいているではありませぬか。
冬が到来したと思っていましたが、すでに冬は去ろうとしているようであります。
次の季節を木々は待ちうけているのでしょうか。

私メも、今年から十傳スクールなるものを始めました。
これまでは原稿の依頼を待つ、いわば受け身の仕事のスタイルでありましたが、ちと自分から主体的に働いてみたいという気持ちが昨年の夏場からスパークしたのであります。
そうなると濁情などどーでもよくなり、幾人かの、お女性たちから「冷酷」という捨て台詞を浴びましたが、まさか「ちょうど、お掃除しようとしていました」などとは、たとえ思っていてもいえませぬ。

テキスト作りや、自身もお勉強の総復習をしておりましたです。
昨年のG1が的中したのは、その真摯な姿勢の結果ではあるまいかなどと自負しているのであります。

そしてスクールが今年に開講。
これも兆しの結果であり、その結果もまた、つぎの兆しとなるわけであります。

遠い兆しを、光とするためには、周囲やお相手からの罵詈雑言を覚悟しなければならないようであります。
「以前、あんなことを言われた」
「あなたに傷つけられた」
「だからこうなった」
などなど。

傷つかない恋などありませぬ。
傷を楽しむのが濁情でございます。
濁情に自爆して、傷つけられたと文句を言うのは、ほんとうに愛していなかった証拠であるという意味のことを、AKBも歌っておりますですね。男の作詞なのでありましょうけど。

春の兆し、新しい濁情の兆し、希望の兆し、金運の兆し。
なかなか楽しくなりそうでありますですよ。
一寸先は光ということもございますれば。