2013
01.13

青々と水をたたえていた湖も、凍結しております。
濁情もおなじかもしれません。
みずみずしい出会いの時期もあれば、寒々とした別れの時もあるのであります。

お女性の捨て台詞が、頭のどこかでリフレインしているような冬景色でありました。
「頭をひやしたらどうだ」
と、私メもお女性の感情を逆なでする言葉を放つのであります。
もはや修復できなくなったからには、お女性の興奮をみて楽しもうという気持ちなのでありましょうか。
「わたしはもとから冷静ですよ」
などと震え声で語るのをニヤニヤとみるわけであります。

やがてメールで、どっさりと恨みつらみの言葉が送られてくる予感もまた、男女の冬景色でありましょうか。

シベリヤから渡ってきた白鳥。
私メは、長いこと、白鳥は寒いから渡ってくるのだと思い違いをしていたのであります。
実際はシベリアの湖が凍結し餌がなくなるから、仕方なく日本に飛来するわけなのでありましょう。

男の気持ちを勘違いしていたお女性のようでもあるのでありました。
心のふるさとは別のお女性にありながら、一人のお女性を愛することはよくあることでありますです。
自分でもどちらのお女性が好きなのか混乱いたしますが、やがて帰るべき相手が見えてくるわけでございますです。

これもまた男女の冬景色なのであります。

冬の散歩は、このように想い出の内部へと心が入りこむようであります。
つるつるな路面でいくたびか転倒しそうになりつつ、高台の教会へと道を選ぶのでありました。

ロシア正教会の建物のデザインは、異国の地に迷い込んだような錯覚をおこし、その錯覚にあそぶことも楽しいのでありますです。

もう、お女性の捨て台詞の矛盾をみつけて楽しもうという気持ちもなくなり、ただひたすら「便所はないか」と気が気ではありませぬ。
さむさで尿意が刺激されているのでありますです。

あそこまで行けば…と、あとは近くの市立図書館まで急ぐばかり。

冬景色が気にならなくなった、そういうあたりに、あたらしい出会いのような…いやいやそう都合よくは運びませぬ。
が、たとえば図書館の掲示板に、市内でやっている催しものを眺め、「ちと行ってみるか」などという気まぐれが、つぎの愚かしい濁情のキッカケになったりするのでありますです。